月別アーカイブ: 2006年8月

ホワイトタイガー

white_tiger〈東武動物公園の名物ホワイトタイガー〉

夏休みの最後の日の今日、子どもを連れて自宅から車で15分くらいの所にある東武動物公園へ行ってきた。
まだ生後6ヶ月の子どもには早かったようで、コンドルやペンギンといった珍しい動物を間近で見てもあまり気乗りしない様子だった。しかし、「触れあいコーナー」で実際にひよこやモルモットに触ると、ぎゅっと潰そうとしたり毛をむしったりして興味津々であった。
途中、ガチョウの群れを檻のそばで見ていたところ、突如ガチョウの大群が餌の音を聞きつけて「グゥアガゥア」と一斉に鳴き出した。すると、突然の大きな音にびっくりしたのか、くわえていたおしゃぶりをぽんと吹き飛ばして大泣きしてしまった。半日外に居て疲れたのであろうか、後半はベビーカーでぐっすりと寝入ってしまい、そのままチャイルドシートに乗せ、眠りから覚めた時は春日部の自宅のベビーベッドの上であった。

『資格を取る前に読む本』

佐々木賢『資格を取る前に読む本』(三一新書 1996)を読む。
現在日本には司法試験や医師免許などの実用的な国家試験から、民間団体によるちょっと「?」な資格まで、その数ざっと1500種にも及ぶ。資格は一つの商品であり、資格を生み出す団体や組織が、利益拡大や組織防衛のためにあの手この手を使ってその有用性を喧伝する。つまり、資格は単に国民の知識や技能の習熟度を試すという側面だけでなく、資格を設けることで異業種の参入を排除したり、行政サイドが意図的にある資格を優遇することで新たな利権が生じるなどの政治的側面もある。また、脱偏差値の風潮の中、偏差値に替わる新たなモノサシとして位置づけられ、学生や社会人の進学や就職に対する不安な心理につけ込むなど悪徳商法的な性格も一部見受けられる。

また、資格を発行する公益法人の数に比例して資格が増えているという現状もある。一例を挙げると、厚労省、文科省、経産省それぞれが天下り先確保ために多数の財団を持っており、健康運動関係だけでも、「健康・体力づくり事業団」、「日本健康スポーツ連盟」、「日本健康開発財団」、「健康生きがい開発財団」、「日本ウェルネス協会」、「中央労働災害防止協会」、「日本体育協会」、「日本スポーツクラブ協会」、「日本フィットネス産業協会」といった財団がある。そして上記の財団全てが独自の資格を発行しているのだ。中には監督官庁のお墨付きを貰っているとはいえ、「温泉入浴指導員」や「健康運動士」など首を傾げてしまうものも多い。

『調べてみよう携帯電話の未来』

武藤佳恭『調べてみよう携帯電話の未来』(岩波ジュニア新書 2003)を読む。
CPUや水晶振動子、GPSの原理などハード面での解説に重点を置き、重量や消費電力など制約の多い携帯電話の開発の難しさを述べる。著者の筆力なのか、編集の都合か、ややこしい計算式や新技術、機械語プログラムの紹介に紙幅が費やされてしまっており、新製品開発のプレゼンのような分かったような分からないような曖昧な読後感が残る。

パワーブックG4

本日の夕刊にパワーブックG4に使用しているソニー製のリチウムイオン電池に不具合が発見され、発売元のアップル社がリコールを始めたとの記事が載っていた。私が現在使用しているパワーブックG4も、膝の上で使っていると火傷するんじゃないかと感じるくらいであったので、ホームページを調べてみたら該当機種であった。早速手続きをしたところ、4〜6週間以内に新しいバッテリーが届くということだ。購入して2年以上経過しバッテリーがへたってきていたところだったので正直儲け物であった。妻が使っている旧型のパワーブックG4550も無償交換の対象にならないだろうかとあらぬ期待を抱いてしまう。

『20世紀の意味』

石堂清倫『20世紀の意味』(平凡社 2001)を読む。
石堂氏は、戦前日本共産党に入党し満州で検挙され、戦後共産党に復党するも除名処分になり、在野でイタリア共産党のグラムシの思想を紹介し、社会主義運動の再生を説いた評論家である。中野重治と同世代の人で親交も深く、学生時代に卒論を書く時にインタビューをしようかと考えていた人である。

Soviet_Union_Lenin一 般にレーニン主義というと暴力的なプロレタリア独裁を通じた共産主義革命を指すものと考えられており、教科書でも民衆を前に演説する姿が印象的である。しかし、レーニンは1921年のコミンテルン大会の最中に、「われわれの唯一の戦術は、より強く、だからより賢明に、より思慮深く、より日和見主義的になることだ」と述べたという。つまり社会民主主義(修正主義)的な手法をとることを密かに提案したという。しかし、そうしたレーニンの考え方はスターリンには受け継がれず、ましてや日本に入ってくることはなかった。石堂氏は1921年以降の転換後のレーニンを評価すべきだとし、一党独裁ではなく、多様な運動体による市民的ヘゲモニーの確立を提唱したグラムシの思想に期待を寄せている。

また、コミンテルンの指示に従うだけのスターリニズムに毒され、「急進的な変革を熱望するあまり、変革の条件の検出と造成の代わりに、多分に空想的情熱的なカタストロフを願っていた」だけの戦前共産党に対する舌鋒は鋭い。

(戦前の)共産主義運動は個々の共産主義者の判断によって遂行される外はなくなった。ただ、党は現実には組織を形式上維持するのがなしうる唯一のことであって、拡大し、深化する侵略戦争にたいする反対運動を国民のあいだに組織する力はなかった。したがって機関誌を配布する以上の力は、個々の党員になかった。その党員が逮捕されると、ほとんどすべてのものが、党活動をやめることを誓う外に選択はなかった。それは不可能事を不可能と言っただけである。ところがそれは「変節」であり「降伏」であると当局によって宣伝された。「転向」とは共産主義者の志気をくじくため、当局が案出した官庁用語である。代替策をもたない共産主義者は、この宣伝に対抗する力を持たなかった。それが「転向」なのである。転向者が責められるべきだとすれば、自殺戦術を放棄したことについてではない。彼は代替戦術をとらなかったことにたいして責任があった。つまり、事は個人の心性にかかわる道徳の問題ではなく、反体制の、とくに、反戦の連帯行動を可能にする道を示さなかった政治の問題であった。

そして戦前戦後を通じた日本の共産党の構造的欠陥を次のように指摘する。

わが国の共産主義運動は、アジア諸国の労働運動と、戦前戦後を通じて協力体制をつくることはありませんでした。建前として国際主義をとる以上、反資本の運動を国際化すべきですが、戦前の日本の労働運動は、「インド以下的な賃金」に憤激しながら、インドの労働者と提携したことなどありません。そして戦後の総評は、「ヨーロッパ並みの賃金」を唱えましたが、そういう前に、朝鮮やインドネシア、インドシナ、フィリピンなどの労働運動と共通の目標を掲げ共通の運動をつくることをしなかったのです。いまでも、共通の綱領をもち、共通の資本と戦うという国際連帯の運動はありません。