月別アーカイブ: 2006年12月

『あなたはもう幻想の女しか抱けない』

速水由紀子『あなたはもう幻想の女しか抱けない』(筑摩書房 1998)を読む。
上野千鶴子の進歩主義的フェミニズムと、宮台真司的な「ブルセラ女子高生」論に依拠した「渋谷」社会学といった内容か。
男性型「会社人間」抑圧構造と性別役割分担家族制度に安住している大人こそが現在の社会荒廃の元凶であり、そうした旧来社会の解体を目指すべきだとするフェミニズム論と、女子高生という生身の人間を「無垢で純粋な聖少女」と記号化してしまう男の歪んだ人間観を生み出した消費社会主義の2つの立場を踏まえて、結婚や教育、援助交際を採り上げる。

著者は現在の家庭、そしてそれを取り巻く社会を、次のようなモデルケースを踏まえて論じている。

性的スキルが小学生並みでロリコン漫画で興奮するような男が、会社員として働き、妻と子供を持つ。当然、妻は満足できないから、夫をバカにしたり浮気をする。そこでプライドを傷つけられ、子供に対して専制的に振舞う。娘は援交、息子はシンナーや恐喝へ。こうして家庭が空洞化していく。
(中略)中学生は傷つくことを恐れてナイフを持ち歩き、教師の言葉に過剰反応し、オヤジは自分の貧しい実存を傷つけない女子高生に走り、傷つけば簡単に自殺してしまう。(中略)中学生は親の「偏差値の高い学校に入れる、世間的に自慢出来るいい子」と「親の許容する、一定の路線を踏み外さない普通の子」という、すべて学業を軸とした二極幻想に支配されている。オヤジの場合なら、「金回りのいい会社経営者である」「大蔵省のエリート官僚である」「企業の中で出世コースに乗っている」……これらは形を変えた会社幻想にすぎない。だから、外部の枠組みや社会状況によって幻想が崩れれば、自尊心は限りなくゼロに近づいてしまう。

そして、現代の女性が等身大の自分としっかり向き合っている一方で、男性は実在する自分を自己認識できず、酒や買い物、仕事、次にはアニメ、少女幻想、はてや妻子をコントロールすべき「理想的な父親幻想」にハマっていくと述べる。著者は最後に「私の存在をフェイクするすべての幻想を捨て、リアルでいびつな自分を愛する」ことから始めよと説く。

読みながら確かに頷くような分析もあったが、渋谷に集う若者やオヤジとその家族を、性別・世代といった要因で全てを十把一絡げに総体化し、現在の世相を計ろうというのは1700円の本の内容としては安易な気がした。緻密な統計調査を踏まえて論じるのならともかく、多様な個人や家族を恣意的なステレオタイプに当てはめて論じようというのは、センセーショナルであるがゆえに、一方的な世論誘導にもつながりかねない危険性を有する。

「試される憲法」

本日の東京新聞朝刊に「試される憲法」という連続コラムに東大大学院教授の上野千鶴子さんの意見が寄せられていた。
人権無視を慣例化する象徴天皇制の一条、また軍事力による平和維持を目指す九条改正含めて、はたして憲法が国民を守るに値するものか含めて議論し、選び直す「選憲」の立場を唱える。「天皇制を維持するためにどこまでコストをかけるのか。戦後60年たって共和制はあらためて考えるべき選択肢だと思います」と憲法そのものの根本意義を読者に問いかける。

「試される憲法」と同じ紙面に、岡山のハンセン病国立療養所「長島愛生園」内にある教会の大嶋牧師が、聖書にある「らい病」(ハンセン病の旧称)の記載は誤訳だとして、出版社に働きかけ聖書の記述を改める活動を続けているとの記事が載っていた。
「らい病」と訳されている「ツァラアト」は「汚れているので、住まいは宿営の外でなければならない」と隔離を示唆する一節が聖書にあり、過去、罪の象徴とされてきた。大嶋牧師は「社会的差別を醸成したのは国の法や政策だけではない」、「誤訳も差別や偏見の遠因」だと呼び掛ける。

この二つの記事が同一の紙面に掲載されているのは東京新聞編集サイドの計略だろうか。もしそうだとしたら過激な紙面編成である。

『春昼・春昼後刻』

 泉鏡花『春昼・春昼後刻』(岩波新書 1987)を読む。
 明治39年に書かれた作品である。神奈川県の逗子を舞台に、ある散策子がひょんなことから寺の坊主から男女の恋物語を聞き、その恋物語世界と現実世界が奇妙に交錯していく。そして一体現実世界なのか、芝居なのか、はたまた夢の中なのか判然としないまま話が展開していく。文語が入り混じった読みにくい語り口ではあるが、村上龍の初期の作品にも似た現代文学風な感じもする。

 相も変わらず勉強は捗々しくない。いよいよ残り一ヶ月を切った。この時期に泉鏡花を読み耽るとは、完全に「逃避」そのものである。。。

『スウェーデンの挑戦』

岡沢憲芙『スウェーデンの挑戦』(岩波新書 1991)を読む。
今日から少しずつ勉強を始めるも全く集中できず。とりあえずデンマークのバンク・ミケルセンにより提唱され、スウェーデンのベングト・ニリエにより世界中に広められた「ノーマライゼーション」について流れを押さえようと一冊本を読んだ。

しかし、残念なことに福祉についての記述はあまりなく、「人権・平和・福祉」を拡充発展させてきた社民党の議会政治の手腕と労使協調路線の実態の説明に終始していた。スウェーデンでは、議会においても労使交渉においても徹底した議論による「妥協主義」が貫かれており、さらに、福祉重視主義という国民のコンセンサスが一致しているので、極めてプラグマティズムな政治が展開されているという。筆者の言葉を借りれば、スウェーデンの社会建設技法は次のように表現される。

生産過程は資本主義的競争原理で高い生産性を維持しながら、分配過程は社会主義的な平等原理で徹底的な所得再配分をする国。その意味で社会主義と資本主義の「中間の道」もしくは、純社会主義でもない純資本主義でもない「第三の道」。労働市場政策を産業政策と連動させ、巧妙に産業構造の転換を実現した国。「福祉か成長か」の二者択一論から「福祉も成長も雇用も」論に挑戦した社会工学の実験室……。

残念ながら、今年の9月の選挙で、長らく続いた社民党政権が崩壊し、右派中道連合政権が勝利し、フレデリック・ラインフェルトという41歳の若い首相が誕生した。規制緩和や国営企業の民営化、失業保険の削減など福祉政策の見直しに着手するとのことだが、「政権担当能力がない」と揶揄されてきた自由主義勢力が、世界で最も強固な労働組合との交渉の中で、どのような手腕を見せるのか。官僚主義に毒されているスウェーデンの福祉政策の改革を進め、新たな福祉国家としての理想像を描いてほしいものだ。

『半落ち』

横山秀夫『半落ち』(講談社 2002)を読む。
特に特筆すべき感想はない。最後まで謎に包まれた主人公に、周りの登場人物だけでなく読者も巻き込んでいくような展開は良かった。

相変わらず勉強は捗らない。分厚い過去問題集を前に、勉強の計画だけ立てる。