月別アーカイブ: 2001年2月

『マルチメディア』

西垣通『マルチメディア』(岩波新書)を読んだ。
古い本なので、書き出しはCDロム搭載のマルチメディアパソコンの現状に関する話題であるが、後半はパソコンというものが個人の能力拡張をベースに発想されているものであり、そこには個人が神の理性を分有するミニ神様だ」という近代ヨーロッパのモダニズムがあるといったように文化的事項にまで話が進んでいく。近代ヨーロッパのモダニズムは感性を支配下に置く理性の賛歌であった。昨今登場してきたマルチメディアパソコンは人間の感性を多分に刺激するものであり、そうしたパソコンを扱うユーザーはより理性的であらねばならないというのがこの本の主旨であった。

しかしこの本を読みがらいろいろな感想を持った。これまで私たちは文字をベースにして様々なことを考察してきた。そして言葉にして意見を表明し、文字・言葉でもって批判を加えてきた。それがこれからは個人レベルで手軽に絵や音で意見を表わすことができるようになるというのだ。
3年程前に漫画家小林よしのり氏が雑誌「SAPIO」に連載中の『ゴーマニズム宣言』という漫画で歴史認識論争に加わった際に、漫画ゆえに相手の批判する余地を与えなかったことがあった。その当時から更にパソコンの普及率が上がり、絵や動画、効果音を利用したプレゼンテーション用のアプリケーションソフトも充実してきた。権力を持つ側が今後これらのツールを利用し始めるとなると、それを批判する側はますます難しさを感じるようになるのではないか。

『コンピューターの話』

有澤誠『コンピューターの話』(岩波ジュニア新書)を読んだ。
高校生向きなので、最後はパソコンのプログラミングを勉強するには英数国の基礎勉強が大切だというまとめになっていた。数学については微分積分の解析的解法を高校生の内に勉強するよりも、論理的な推理力判断力に重点を置くべきだと著者は述べている。確かに三段論法や集合については数学でも国語でも扱わないまま、公務員試験等で「一般常識」として出されてしまう。例えば「青い目の美しい女の子」は何通りに解釈できるか、という問題は実際の情報処理能力を試すのにいい問題となるが、高校教育では扱わない。文法と確立の組み合わせ問題は高校のカリキュラムから抜けてしまうのだ。評論文演習をやっていて感じるのだが、対比表現などは数学の対偶やド・モルガンの法則などをやってからのほうが良いかもしれない。

パワーブックG4

パワーブックG4を通信販売で注文した。マックOS10バンドルまで待とうか、CDーR搭載機まで待つか、グラフィックカードにATIのRADEONが付くまで待つか、いろいろ考えたが、次々と新製品が出てくる中で、考えるだけ無駄だということに気付いた。しかし今注文しても実際に届くのは来月になるらしい。

『27歳の転機』

Bing編集部編『27歳の転機』(メディアファクトリー)を読んだ。
60人程の各界の著名人による27歳という人生のターニングポイントを振り返るエッセー集である。その中で印象的な言葉が幾つかあった。

「人生思い通りにはいかないよ。だから、思いどおりにやればいいんだ」
「27歳というのは自分ではもう年かなと思うかもしれませんが、社会的にはまだまだ若い年齢です。夢中になれる時期なのです。後期青年期と呼べる時代です」

私自身25で大学5年生を送っていたときは「もう歳だ」と感じていたが、現在27で社会人生活を送っていると、「30までの2・3年、まだ勝負できるな」と考えてしまう。あの時あれをやってればと後悔することが多い。どのような人生を送ろうと後悔はつきものだが、「バリケード」を越えてしまった今の立場からもう一度「自分」を捉え直していきたい。

「若いうちはすべての規則に従ったほうがいい。そうすれば年をとってから規則を破る力が手に入る」
―マーク・トゥエイン―

『電脳社会の日本語』

加藤弘一『電脳社会の日本語』(文春新書)を読んだ。
JISコードやユニコード制定における漢字の扱いについて分かりやすく書かれていた。インターネット社会ではアルファベットが中心であり、漢字はグローバル通信には馴染まないものだという意見がある。確かに漢字は「高」や「辺」という字には異体字が多く、どこで区切りをつけて分類するのか、特に人名漢字はその人のアイデンティティーに関わるために容易に解決できないだろう。しかし漢字は文字の形が一定しており表示と編集の違いを意識しなくて済む。漢字の処理が難しいといっても、量の問題に過ぎない。しかしアラビア語やチベット語の文字は前後との組み合わせによって字形が変化するので、現在の技術ではデジタル化できないというのだ。マックも来月からOSが根本から変わり、ユニコードとOpenTypeを基本とするようになるが、日本語環境には慎重を期して欲しい。