地上波で放映された、ウッディ・アレン監督脚本主演『地球は女で回ってる(原題:Deconstructing Harry)』(1997 米)を観た。
ウッディ・アレンが演じる女性遍歴の激しい中年作家が、現実の世界で様々なトラブルに逢いながら、作品世界の中を逍遥し、自身が創作した作中人物と会話するなど、文学的なコメディ作品である。日本では受け入れられないタイプの作品であろう。
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『プルトニウムの未来』
高木仁三郎『プルトニウムの未来:2041年からのメッセージ』(岩波新書 1994)を読む。
今年最後の読書となった。最後を飾るに相応しい作品であった。
岩波新書には珍しく、2041年の「プルトニウム社会」を描いたSF小説作品である。廃棄物となったプルトニウムを満載したロケットが人工知能の勝手な判断で地球に落下するというド派手なラストシーンで終わる。
2041年のプルトニウムの増殖炉で働く技術者が、1994年の事故から50年近く眠りについていた「私」への語りかけで物語は進行していく。
2041年現在でもコントロールできないプルトニウムに頼ってしまった社会の原因は、1990年代前半のプルトニウムの推進政策や機会まかせで開発を進めてきた人間の怠慢にあるという批判が語られる。確率的に何万分の1という事故が実際に起るという話は、3.11の事故をまるで予見していたかのようである。
『福島原発メルトダウン』
広瀬隆『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』(朝日新書 2011)を読む。
2011年5月に緊急に刊行された作品で、福島原発の危険性や浜岡原発、その他の原発の危険性について、技術的な欠陥や原発の付近を通る活断層など、具体的なデータや地形図から分かりやすく説明されている。プレートの境界に位置する地震国火山国の日本で、特に活断層が疑われる地域に原発を集中して建設する危険性がよく伝わってきた。産業も観光資源もない「弱者」である過疎地域に、地域外の電力会社が原発を設置する政治のあり方に腹が立った。原発や公害、基地の問題は、この国の歪みを象徴している。
また、インターネットでは沖縄のニュースも原発の問題も「手に取る」ように分かるが、活断層一つとってもその距離や大きさは実際に地図を広げ、現地を見て、土地柄を見ないとそのリアルな実感は湧かない。世の中が諸事情がすべて画面で表示されるようになったが、こうした広範囲に渡る問題を俯瞰するには、その実際の大きさや距離感から物事を思考する「地理的発想」が求められるのではないか。
「速水×津田〜『1995年』73年組の生きる道」
『TVピープル』
村上春樹短編集『TVピープル』(1990 講談社)を読む。
表題作の他、「飛行機』『我らの時代のフォークロア』『加納クレタ』『ゾンビ』『眠り』の5作が収められている。
どの作品も漱石の夢十夜のような脈絡もない作品で、感想や疑問も差し挟む余地のないままに展開していく不思議な内容であった。