地上波で放映された、ウッディ・アレン監督脚本主演『地球は女で回ってる(原題:Deconstructing Harry)』(1997 米)を観た。
ウッディ・アレンが演じる女性遍歴の激しい中年作家が、現実の世界で様々なトラブルに逢いながら、作品世界の中を逍遥し、自身が創作した作中人物と会話するなど、文学的なコメディ作品である。日本では受け入れられないタイプの作品であろう。
月別アーカイブ: 2013年12月
『プルトニウムの未来』
高木仁三郎『プルトニウムの未来:2041年からのメッセージ』(岩波新書 1994)を読む。
今年最後の読書となった。最後を飾るに相応しい作品であった。
岩波新書には珍しく、2041年の「プルトニウム社会」を描いたSF小説作品である。廃棄物となったプルトニウムを満載したロケットが人工知能の勝手な判断で地球に落下するというド派手なラストシーンで終わる。
2041年のプルトニウムの増殖炉で働く技術者が、1994年の事故から50年近く眠りについていた「私」への語りかけで物語は進行していく。
2041年現在でもコントロールできないプルトニウムに頼ってしまった社会の原因は、1990年代前半のプルトニウムの推進政策や機会まかせで開発を進めてきた人間の怠慢にあるという批判が語られる。確率的に何万分の1という事故が実際に起るという話は、3.11の事故をまるで予見していたかのようである。
被災地を巡る|33ヶ月後(南相馬市〜山元町〜仙台空港)Part.3
被災地を巡る|33ヶ月後(飯館村〜浪江町)Part.2

福島駅前のホテルを出発し、国道114号線から県道12号線を経由して飯館村に入った。
飯館村を抜けて、県道12号線を真っ直ぐ東へ進んだ。南相馬市の原町駅の様子。常磐線はこの南相馬市から広野駅までは現在まで復旧の予定は立っていない。また仙台方面も相馬駅から先はJRバスによる代行輸送となっている。
南相馬市原ノ町駅から二駅先の小高駅付近の様子。立ち入りは制限されていないのだが、駅前の銀行や商店も震災直後のままであった。
南相馬市の一番南側にある小高駅から一つ先の桃内駅の様子。3年近く放置されたままの寂寥感を感じる。
浪江町に入ると様子が一変する。国道6号線につながる一般道への侵入は全て上記の看板が設置され禁止されている。仕方なく6号線を真っ直ぐ進むと、まるで国境警備のように厳重な警戒態勢が敷かれている。浪江町から先は一切は踏み込めない土地なのである。
国道6号線に車を置いて、少しだけ浪江町の中心街を自転車で回ってみた。中心地は津波の被害は免れたようだが、3.11地震の被害の爪痕がそのまま残されていた。言葉は大変悪いが「ゴーストタウン」となっており、大量のカラスが我が物顔に住宅を行ったり来たりしていた。除染はこれから進んでいくようであるが、再建に向けて計画は長期にならざるを得ないであろう。
『福島原発メルトダウン』
広瀬隆『FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン』(朝日新書 2011)を読む。
2011年5月に緊急に刊行された作品で、福島原発の危険性や浜岡原発、その他の原発の危険性について、技術的な欠陥や原発の付近を通る活断層など、具体的なデータや地形図から分かりやすく説明されている。プレートの境界に位置する地震国火山国の日本で、特に活断層が疑われる地域に原発を集中して建設する危険性がよく伝わってきた。産業も観光資源もない「弱者」である過疎地域に、地域外の電力会社が原発を設置する政治のあり方に腹が立った。原発や公害、基地の問題は、この国の歪みを象徴している。
また、インターネットでは沖縄のニュースも原発の問題も「手に取る」ように分かるが、活断層一つとってもその距離や大きさは実際に地図を広げ、現地を見て、土地柄を見ないとそのリアルな実感は湧かない。世の中が諸事情がすべて画面で表示されるようになったが、こうした広範囲に渡る問題を俯瞰するには、その実際の大きさや距離感から物事を思考する「地理的発想」が求められるのではないか。






































































