日経産業消費研究所編『日経キーワード2002版:重要語500語で21世紀を読む!』(日経 2000)を読む。
現在も版を重ねている就職試験用の時事ネタ本である。ほんの5年前の本であるが、情報技術の項などは隔世の感すら感じるほどだ。
月別アーカイブ: 2005年5月
『新版・現代教育要論:教職教養の教育学』
松島均・志村鏡一郎監修『新版・現代教育要論:教職教養の教育学』(日本文化科学者 1996)を半月かけて読んだ。
おそらくは大学の教職課程の教育原理の授業あたりで使われるテキストとして編集されたのであろう。教育史から教育法、教育制度、生涯教育まで丁寧に解説が加えられている。教育学の全体像を見渡すことはできないが、児童中心主義の立場で編纂されており、大学1年生が読み捨てるにはちょうどよい分量であろう。
『ひとまず走れ』
『日本文学史』
奥野健男『日本文学史:近代から現代へ』(中公新書 1970)を読む。
表題通り、明治時代の仮名垣魯文から、1970年代の昭和を代表する大江健三郎、野坂昭如に至るまで文壇で活躍した文学者をほぼもれなく網羅している労作である。近代文学が常に時代に左右されながら、そして時代に翻弄される人間の姿に迫ろうとしてきたと、著者の奥野氏は文学の「発展」を主張する。明治から綿々と連続して文学の発展という視点で文学者、文学作品を位置づけており、大変分かりやすい文学史論になっている。
以下、何を言っているのやらさっぱり分からない引用文であるが、本書を読むと妙に合点がいく不思議な文章である。
明治以来の1世紀の日本文学を考えると、それは江戸時代の戯作文学と意識的に断絶を志し、西洋近代文学を全的に輸入、摂取し、日本という特殊な風土に、断絶しようとしてもしきれなかった先年余の日本文学の伝統のうえに、狭小ではあるが独自な深い私小説中心の近代文学を確立しました。それが大正時代のデモクラシーの中でようやく文学的に成熟したとたん、世界史的な近代の崩壊にぶつかったのです。新しい現代文学への模索は、大正末期から”革命の文学”と”文学の革命”と対立しながら、太平洋戦争を含む動乱期を試行錯誤をかさね、戦後15年たって、西洋先進国の近代本格小説への文学的コンプレックスが消滅し、ようやく今日過酷な時代状況の認識のもとに、主体的に世界史的な意味の現代文学を日本にも成立させ得る端緒についたというのが、日本文学の現在にいたる鳥瞰図です。
『フロイト』
ラッシェル・ベイカー著・宮城音弥訳『フロイト』(講談社現代新書 1975)を読む。
著者であるベイカー氏はどっかの大学の心理学者ではなく、伝記作家であるので、難解なフロイトの学説よりもフロイトの人生そのものにスポットをあてている。
フロイトは19世紀末から20世紀の前半にかけてオーストリアのウィーンで活躍した心理学者である。しかし、ユダヤ人であるというだけで、出世の道を断たれ、民族的な偏見もあってか、ユングやアドラーとも不仲になってしまい、晩年はナチスによって家族を虐殺され、自身も英国への亡命を余儀なくされた苦労を強いられた人物である。フロイトの精神分析が彼の生き方や時代に規定されたものだということが理解できた。フロイト自身の次の言葉が印象に残った。
人間は強い考えを抱いているかぎりにおいてのみ強い。