『わが心のスペイン』

 【パリ=渡辺泰之】スペイン北東部バルセロナ中心部の繁華街で十七日午後五時(日本時間十八日午前零時)ごろ、ワゴン車が群衆に突っ込んだ事件で、AFP通信などによると、計十三人が死亡、百人以上が負傷した。捜査当局は十七日夜、テロ関連容疑で二人の男を拘束。過激派組織「イスラム国」(IS)の系列メディアは「攻撃を実行したのはIS戦士だ」と、事実上の犯行声明を発表。スペインのラホイ首相も「イスラム過激派による攻撃」との見方を示した。(東京新聞)

五木寛之『わが心のスペイン:シンポジウム〈スペイン戦争+1930年代』(角川文庫 1973)を読み返す。
高校時代に手に取って以来本棚の奥で眠っていた本である。バルセロナで起きたテロ事件の容疑者がモロッコ出身の過激派組織「イスラム国」(IS)との報道があり、もう一度ページをさらさらと繰っていった。というのも、1936年にスペイン領モロッコにおいて、フランコ将軍などのファシスト将校が決起、これをのろしにスペイン本土各地に軍隊の反乱が起こったのがスペイン内戦の始まりだったからである。

五木氏はスペイン内戦を総括して次のように述べる。現在とは状況が異なるが、「人民戦線政府側」をキリスト教徒、「フランコ側」をイスラム過激派と置き換えた場合、話が何となくであるがつながってしまうのが怖い。

スペイン戦争でフランコ側は、ナチとムッソリーニはもちろん、応援したのは間違いないけれども、それに対して、米英仏は最初はスペイン(人民戦線政府)を応援したわけですね。それが途中で不干渉条約みたいなものを結んで、手を引こうじゃないかということになる。ところが、実際には武器や物資は金を取ってどんどん送り込んでいるし、今度は逆に米資本の石油会社なんかが、フランコ側にどんどん石油を提供したりしている。はっきりと代理戦争という形がここで出ているということが、二十世紀の戦争の非常に大きなパターンになっているだろうと思うのです。当時のスペイン政府の人民戦線側が、国有財産としてスペイン銀行に保管していた、没収した元スペイン王家の金とか、国家の金を全部ソビエトの方に渡してあるわけですね。

その金がどういうふうに動いたか、金のルートをたどっていって、そこからスペイン戦争が、コミュニズムとファシズム、あるいはデモクラシーとアナーキズムという図式的対立ではなくて、非常に大きな世界資本というようなものが、背後に介入していたんだと見るわけです。つまり、人民戦線側に武器を送り、フランコ側にも石油を送るというような形で、アメリカの石油資本が参加したというふうなことがとっても象徴的で、いまのベトナム、カンボジア、ラオスとすぐにつなげて考えられるところから、スペイン戦争というものが、いまの若い連中の関心の的になっているのではないかと思うのです。

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