綿矢りさ『インストール』(河出書房新社 2004)をお風呂で一気に読む。
昔読んだ気もするのだが、幸い話の内容は記憶の片隅にも残っていなかったので、ちゃんと楽しむことができた。
評論家風に内容を概括すると、受験一色に染まりつつあう教室にも、母と二人暮らしの家庭にも、そして現実を偽れるネット上のチャットレディの世界にも自分 の居場所を見つけられなかった女子高生。その彼女が、実の母の一言がきっかけで、再びありのままの自分の姿をこの現実世界に準えようとする青春小説ってな 感じだろうか。
とりわけ若い女性グループを支配する「間」というか「空気」に馴染めない女子高校生の本音がうまく表現されていると思う。
月別アーカイブ: 2009年12月
本日の東京新聞朝刊から
本日の東京新聞朝刊に作家加賀乙彦氏のインタビュー記事が掲載されていた。
加賀氏はインタビューの中で、「日本の不幸の始まりは1952年、日米安全保障条約の発効にあることを確信した」とし、「米軍基地と公共事業は関係があ る。日本は防衛を米国に任せ、公共事業で高度成長を支えた。日本は米軍基地を通じて朝鮮戦争からイラク戦争まで荷担したのだ。つまり日本の高度成長の裏に は戦争がある」と述べている。
そして、「普天間を端緒に米軍基地をすべて撤廃すべきだ。防衛は自衛隊だけで結構。政治家もジャーナリストも 『北朝鮮や中国の軍事的脅威から、米国が日本を守っている』『米国を怒らせたら大変なことになる』というが、全くの幻想だ。むしろ日本に米軍が駐留し続け ているために、北朝鮮も中国も軍備増強に走る。米軍が日本から出ていけば、東アジアは平安になるのではないか」と主張する。
さらに「米軍基地に象徴されるように、誰かに全部任せっきりにして、『分からない』『興味がない』と考えることを放棄したり、『どうせ何も変わらない』と行動する前からあきらめる習慣から脱却しよう。これからは自分たちで考え、自分自身の意見を持とう」と呼びかける。
いかにも医者らしい高踏的な見解で、右や左に与することなく、個人の判断、個々の責任を主張する。あまり目新しい意見ではないが、時々は目にしたい内容である。
パンフレット研究:創価大学
創価大学のパンフレットを読む。
1971年に創価学会の池田大作氏の「人間教育の最高学府たれ」「新しき文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」の建学の精神を実現する大学として開学した新しい大学である。創価学会の初代牧口会長が教育に力を入れていたこともあり、創価学会の組織の一つという位置づけが強いと思われる。パンフレットには「学生のための大学」と謳われているが、やはり「池田の名誉、箔付けのための大学」という側面は否定できないであろう。
現在では経済、経営、法、文、教育、工学部の6学部が置かれている。パンフレットの所々に創立者を崇めるような言葉が羅列されているが、それ以外はいたって真面目な内容となっている。いたずらに就職や資格を売りにするのではなく、学部学科の説明にきちんと紙幅が費やされている。八王子駅からバスで20分の不便な場所にあるが、4年制大学で5倍、短大でも3倍の入試倍率が出ている。
大正大学や立正大学と同列には論じられないが、こじんまりとして面倒見が良さそうなので、信条を問わない法曹界や教員への就職を考えている一般学生にとっては一つの選択肢となるのではないだろうか。
『いま生きているという冒険』
石川直樹『いま生きているという冒険』(理論社 2006)を読む。
北極から南極までカヌーや自転車を使った旅やチョモランマ到達熱気球太平洋横断など、漫画のようなわくわくするような冒険日記である。あまりにスケールが日常離れしていて、つかの間のストレスの解消となった。
著者の石川氏は、1977年生まれの冒険家で、現代版植村直己のような人である。公式ホームページを見ると、現在は人間の剥き出しの本質が現れる冒険そのものを研究テーマにしているようである。全く羨ましい人である。
中米諸国を旅していて、地続きである北米との落差にぼくたちは愕然としました。(中略)現在の世界は、貧しい人々から豊かな人々へ富が流れるようにできています。貧しい人々がいない限り世界が成り立たないとすれば、先進国と呼ばれる国々の住人たちが声高に語る環境問題や平和で平等な世界とはいったい何なのでしょう。南北問題という言葉の意味は学校で習っても、その原因が自分たちにあることをぼく自身感じてきたでしょうか。アメリカや日本はどうしていつも戦争を肯定する側に立ち、弱者を欲し続けるのでしょう。
ペダルをこぎながら、僕の頭もぐるぐる回転していました。教科書で覚えた知識はテストが終わった瞬間に消えてしまっても、旅で感じた疑問は炭火のようにいつまでも熱を発し続けます。ぼくは今もこれからも、これらのことをずっと考え続けていくでしょう。
本日の東京新聞朝刊から
本日の東京新聞朝刊一面に、沖縄返還交渉中の1969年、当時の佐藤栄作首相がニクソン米大統領と有事の際に沖縄への核持ち込みに関する密約を交わしていたとの記事が掲載されていた。佐藤栄作というと、首相在任7年8ヶ月の長期政権記録を作った政治家として知られ、在任当時から「官僚政治」「対米依存」と非難されつつも、単独与党、絶対多数の政局安定を持続し、さらには「非核三原則」の宣伝文句でノーベル平和賞まで受賞している。
しかし、今回のこの密約の確定で、「二枚舌外交」のごまかしが明らかになった。また、佐藤栄作氏の次男で元運輸相の信二氏も影響が大きいことを危惧して隠しており、自民党政権は否定を続けてきた。しかし、これは過去の事件として片づけてしまう問題ではない。現在の日本政府も非核政策を掲げているが、果たしてこの密約は今も生きているのであろうか。今後の日本の外交政策の基本は環境と核なき平和である。その足元はクリアーであってほしい。