日別アーカイブ: 2017年8月15日

エジプトのユダヤ人 120000人→9人

本日の東京新聞夕刊に、エジプトのユダヤ人が第1次中東戦争(1948年)前後の12万人から、イスラエル建国などを経て、現在では高齢者を中心に9人を数えるのみになったという記事が掲載されていた。背景には、エジプトは4度にわたり「ユダヤ人の祖国」イスラエルと戦火を交え、反ユダヤ感情が高まっていった経緯がある。カイロ中心部にあるシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)は3年前、近くに爆発物が置かれて以来、物々しい鉄柵と自動小銃を持つ警察官に囲まれるようになった。一方、カイロ市内に12ヶ所残るシナゴーグだが、祭祀を行うラビ(指導者)は不在で、その保存が危ぶまれている。

代表のマグダ・ハルーンさんは「ユダヤ教徒とシオニスト(ユダヤ民族主義者)は違う。私はユダヤ教徒であり、エジプト人。ここで生まれ、ここで死ぬ権利がある」と語る。

イスラム教徒の全員がイスラム原理主義に賛同するわけではないと同じように、ユダヤ教徒の全員がイスラエル建国主義者(シオニスト)ではないということに留意する必要がある。

ユダヤ人
紀元前2000年ごろからパレスチナ地方(地中海南東岸のシリアとエジプトの間の地域)に定着し、ユダヤ教を発展させた民族。迫害を受けて世界各地に離散したため、現在では宗教的な影響が強い。イスラエルが定めた帰還法では「ユダヤ人の母親から生まれた人、またはユダヤ教に改宗した人」をユダヤ人と定義している。世界のユダヤ人人口は約1430万人(2015年)。

ヒキタ [メルマ!:00016703]より

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【ヒキタ解釈のオススメ本(たまに非オススメあり)】

「広域計画と地域の持続可能性」大西隆(編著)学芸出版社

東大まちづくり大学院シリーズの第2作目。私としてはシリーズ5作中、読み始め、もっとも「興味ね~」で始まって、読後にもっとも「こりゃ面白い~」になった作品でありました。
ドイツや英国、フランスなど、それぞれのお国柄に応じて、まったく違った形をとる広域行政例もさることながら(特にフランスの市町村にあたる伝統的地方行政単位“コミューン”の連結ぶりには驚きました)、日本にも「待ったなし」の広域連携例がけっこうあって、それぞれがちゃんと本気。
私ヒキタとしては、ふーん、知らないうちにそんな時代がやってきたたのかと思わざるを得ないわけです。

特に「こりゃスゲ」と思ったのが、三遠南信地域という地域でね。
ご存じあります? 三遠南信地域、ちょっと前まで私しゃ知らんかった。
三・遠・南信、つまり、三河(愛知県東部)と、遠州(静岡県西部)、南信州(長野県南部)は、県境を越えた地域連携を組んでいて、ある意味、県と同等の動きをしてるというんだけど、もはや政令指定都市の浜松をはじめとして、豊橋、豊川、飯田、磐田、蒲郡と、それなりの市町村を抱え、全部で250万人を抱える一大エリアになっている。これ、都道府県の人口ランキングで言うと、14位の宮城県とほぼ変わらんのであります。
その三遠南信地域が、毎年サミットを開き、連携を強化していて、もはや「いつか道州制になるとき、我らを分かつ境界線ができようものなら、必ず拒否し、我々はひとつ、というのをアピールしようぞ」というのを誓い合っている。これ、冗談でも何でもなくて、このアピールは、平成18年(2006年)の三遠南信サミットにおいて、全会一致で決議されたというのだ。
その背景には「県ナンバー2未満」そして「県にとっての端っこ」のルサンチマンがあるとみた。
人口ベースでいうと、豊橋が名古屋、豊田などに次いで愛知県4位、豊川が9位。
飯田も長野、松本などに次いで長野県4位。
静岡県にいたっては、浜松市の方が人口も経済集積も勝っている(つまり静岡県1位)にもかかわらず、県庁所在地の静岡に較べると常に「県下2位」「後まわし」にされてきたという現実。
つまり、県中央から「ないがしろ」にされてきた「本来はスゲーまち」3つと、その周辺が結集して、三遠南信を作ったというわけだ。
こんなことが日本で起きてるんだ。
なんか私ヒキタは、密かにショックというか、感銘を受けたことでありましたよ。

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『靖国への帰還』

内田康夫『靖国への帰還』(講談社文庫 2011)を読む。
2007年に刊行された単行本の文庫化である。1944年に厚木基地から出撃したものの敵機の襲撃を受け行方不明となった海軍航空隊兵が、突然2007年現在の厚木基地に戻ってくるという設定の小説である。既に靖国神社に英霊として祀られている人物が、戦後の靖国神社の論争に英霊として発言するという形で物語が展開していく。
72年前の戦争最前線からタイムスリップしてきた海軍航空兵の武者は次のように語る。

 いま、靖国神社に反対し、A級戦犯合祀を指弾する人々は、かつての戦争について、自分たち、あるいは自分の親たちが同罪であったことを忘れてしまっているのです。戦争を企図した者以外はすべて被害者であるかのように言うのは、後付けの論理です。もし戦争に勝って、恩恵を享受していれば、靖国神社はもちろん、戦争犯罪そのものさえ指弾しないでしょう。それに、もしその時代のその立場にいたとしたなら、A級戦犯とされた彼らと同じような判断を行い、同じように戦争に突入しなかったという保証はありません。いずれにしても、彼らは処刑され、死をもって罪を償うことで、責任を全うしたのです。戦争を知らず、戦争の当事者でもない人々が、死者たちに笞打つような弾劾を叫ぶのは、空論にしか聞こえません。A級戦犯といえどもBC級戦犯と雖も、戦争という国家の行為によって生じた死者であることに変わりはないのです。そのことを、死者たちの声として訴えていきたいと思います。

しかし、海軍航空兵が思いを寄せていた女性は次のように語る。

あの方(A級戦犯として合祀されている東条英機)、戦争を始めた責任者でしょう。でしたら、戦争を終結させるのも、ご自分の責任でなさるべきでしたわよ。それを、陛下のご聖断が下るまで、漫然と、何もしないで、それこそ生き長らえていたなんて、無責任ですわ。もしもっと早く、たとえばサイパン島が玉砕した時ですとか、硫黄島が玉砕した時とかに無条件降服をしていれば、武者さんは戦死なさらなくて……いえ、武者さんはともかく、大勢の若い方々や、空襲や原爆で亡くなられた方々の命は救われていたんですもの。ですからね、東条さんだけは大嫌いなんです。

浅見光彦シリーズとは雰囲気を異にするものの、浅見をして語られる内田氏の戦争観が色濃く出ている作品である。亡くなったら生前の罪を問うことなく神として祀ってきた日本の伝統に根ざす立場、祖先の冥福を祈る気持ちは強いもののA級戦犯が合祀されていることを問題視する立場、隣人(中国や韓国)が不快感を示す中で、日本政府として靖国を公式に参拝することに疑義を挟む立場など、著者は靖国神社を巡る様々な見解を示し、過去から戻ってきた武者を混乱させる。武者はそうした空気に辟易して過去へと戻って軍人としての職務を全うしていく。

著者本人は解説の中で、エンターテイメントに過ぎないと述べているのだが、靖国問題の入門書としても最適な作品であった。