『靖国への帰還』

内田康夫『靖国への帰還』(講談社文庫 2011)を読む。
2007年に刊行された単行本の文庫化である。1944年に厚木基地から出撃したものの敵機の襲撃を受け行方不明となった海軍航空隊兵が、突然2007年現在の厚木基地に戻ってくるという設定の小説である。既に靖国神社に英霊として祀られている人物が、戦後の靖国神社の論争に英霊として発言するという形で物語が展開していく。
72年前の戦争最前線からタイムスリップしてきた海軍航空兵の武者は次のように語る。

 いま、靖国神社に反対し、A級戦犯合祀を指弾する人々は、かつての戦争について、自分たち、あるいは自分の親たちが同罪であったことを忘れてしまっているのです。戦争を企図した者以外はすべて被害者であるかのように言うのは、後付けの論理です。もし戦争に勝って、恩恵を享受していれば、靖国神社はもちろん、戦争犯罪そのものさえ指弾しないでしょう。それに、もしその時代のその立場にいたとしたなら、A級戦犯とされた彼らと同じような判断を行い、同じように戦争に突入しなかったという保証はありません。いずれにしても、彼らは処刑され、死をもって罪を償うことで、責任を全うしたのです。戦争を知らず、戦争の当事者でもない人々が、死者たちに笞打つような弾劾を叫ぶのは、空論にしか聞こえません。A級戦犯といえどもBC級戦犯と雖も、戦争という国家の行為によって生じた死者であることに変わりはないのです。そのことを、死者たちの声として訴えていきたいと思います。

しかし、海軍航空兵が思いを寄せていた女性は次のように語る。

あの方(A級戦犯として合祀されている東条英機)、戦争を始めた責任者でしょう。でしたら、戦争を終結させるのも、ご自分の責任でなさるべきでしたわよ。それを、陛下のご聖断が下るまで、漫然と、何もしないで、それこそ生き長らえていたなんて、無責任ですわ。もしもっと早く、たとえばサイパン島が玉砕した時ですとか、硫黄島が玉砕した時とかに無条件降服をしていれば、武者さんは戦死なさらなくて……いえ、武者さんはともかく、大勢の若い方々や、空襲や原爆で亡くなられた方々の命は救われていたんですもの。ですからね、東条さんだけは大嫌いなんです。

浅見光彦シリーズとは雰囲気を異にするものの、浅見をして語られる内田氏の戦争観が色濃く出ている作品である。亡くなったら生前の罪を問うことなく神として祀ってきた日本の伝統に根ざす立場、祖先の冥福を祈る気持ちは強いもののA級戦犯が合祀されていることを問題視する立場、隣人(中国や韓国)が不快感を示す中で、日本政府として靖国を公式に参拝することに疑義を挟む立場など、著者は靖国神社を巡る様々な見解を示し、過去から戻ってきた武者を混乱させる。武者はそうした空気に辟易して過去へと戻って軍人としての職務を全うしていく。

著者本人は解説の中で、エンターテイメントに過ぎないと述べているのだが、靖国問題の入門書としても最適な作品であった。

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