日別アーカイブ: 2007年12月2日

『ALWAYS 続・3丁目の夕日』

先程、子どもをお風呂に入れてから、春日部のララガーデンへ映画を観に行った。9時半にお風呂から出て、慌てて車を飛ばして、9時50分には映画館のシートに座っていた。ふと思いついて映画を観ることが出来るというのは最上の悦びである。文庫本片手に思いつくままに映画を観るという、子どもが生まれる前の自分の休日の過ごし方が少しずつ出来るようになって嬉しく思う。

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山崎貴『ALWAYS 続・3丁目の夕日』(東宝 2007)を観に行った。
前作ではサブ的な登場人物であった吉岡秀隆演じる茶川竜之介とその家族を中心として、彼の芥川賞受賞を巡って交錯する暖かい人間模様描く。高度経済成長のシンボルである東京タワーやまだ完成していない首都高速が、『アルプスの少女ハイジ』の「アルムのもみの木」のように、明るい将来に向かって努力を続ける人間達を優しく見守り続ける。感動的な音楽と相俟って、涙が半分ほど瞳を濡らしてしまった。
しかし、おそらくはこの続編を活字だけの小説にしても全くつまらない駄作にしかならないであろう。また主役を別の人間が演じても興ざめであろう。この映画は役者吉岡秀隆さんで決まりである。彼の涙が観客の心を打ち続ける。彼のぼさぼさ髪に顔をくしゃくしゃにした演技の右に出るものはいないだろう。

□映画『ALWAYS 続・3丁目の夕日』公式ページ□

『野菊の墓』

伊藤左千夫短編集『野菊の墓』(新潮文庫 1955)を読む。
一般に作者の代表作として知られる表題作の『野菊の墓』は、ちょうど今から100年前の1907(明治39)年に発表された作品である。一途に思い続ける彼女が突然の病で死んでしまい、彼女を思う気持ちだけが永遠に主人公の心に残り続けるといった「主観的な、感傷的な、失恋小説」であある。言葉は少し難しいし、保守的な恋愛観がモチーフとなっているが、『セカチュー(世界の中心で、愛をさけぶ)』や今のケータイ小説のような初々しさや爽やかさを感じる作品であった。『現代日本小説大系』(1950)の中で、中野重治氏が「人生に対して激情的な人々によって『野菊の墓』は読み続けられる可能性を持つと私は考える」と述べているように、「純愛」はいつの世も若者にとって大きなテーマとなるのであろう。(ずいぶん老成したものの言い方であるが)