片山豊・財部誠一『Zカー』(光文社新書 2001)を読む。
昨年日産からスポーツカー「フェアレディZ」が発売されたが、その従来の日本車から一線を画したようなデザインは今でも色褪せていない。この本では、米国からのファンからは「father of Zcar」と称されるZ販売の開拓者である片山豊を通して、Z復活の経緯とゴーンによって変わった日産の会社のありようが語られている。我々の世代からすれば日産のフラグシップはフェアレディZではなくGTRという思いが強い。しかしGTRはあくまでハコスカであり、元来は4ドアの乗用車である。しかしフェアレディZはコンセプトからポルシェを意識したスポーツカーである。1970年に240Zとして米国で販売されたフェアレディZは瞬く間にフォルクスワーゲンを抜く輸入車第一位の座を獲得した。しかし80年代の日産の売れれば良いという方針のもと、ダットサンブランドは潰され、Zカーもポルシェを猿真似したデザインに変わってしまった。1998年に入っていすゞからデザイナー中村史郎がヘッドハンティングされ、99年にはルノーからカルロスゴーンがやってきて、日産は外部からの血によって変わって来た。両者ともクルマに対するこだわりは人並以上のものを持っている。やはりものづくりの会社はその製品を愛することから始まる。「一念岩をも徹す」というが、技術者たるもの好きなものにこだわる続ける姿勢が大切だとまとめる。
『Zカー』
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