平川彰『現代人のための仏教』(講談社現代新書 1970)を読む。
かなり版を重ねている本で、仏教の入門書としては良くまとめられている。阿弥陀や菩薩、観音など分かっているようで分かっていない用語について丁寧に説明してあった。その中で、「中道」という言葉の説明が面白かった。「中道」という言葉の雰囲気から、私は勝手に争いを避けるための妥協点探りのことだと考えていた。しかし著者は次のように説明する。なかなか良いことを言っているので全部引用する。
中道とは、調和を実現する智慧です。たとえば、1メートルの中間は50センチですが、その中間点を見つけるためには1メートルの全体を正しく見なければなりません。つまり全体を正しくつかむことが、中を発見する前提になる。われわれがなんらかの問題に対して中道を見つけるためには、その問題がどれだけの範囲にあるか、その問題の全体を見通さねばなりません。この全体観ということが、中を実現するための第一段階の智慧です。つまりその事件、その問題を正しく見通す、問題に対してじゅうぶんな認識を持つ、理解を持つことが、中道の第一の条件になります。
第2は、その全体において、中を選び取ることが必要です。つまり全体観についての正しい智慧、批判的智慧が必要なわけです。1メートルのまん中というのは、問題が簡単なので容易に中が見つかりますが、複雑な事件の場合には、その中を見つけることは容易ではありません。見つけるためには利己心を捨てることが要求されます。つまりわれわれの現実の問題は、我と汝の世界において展開するものであり、われわれに自己を重んずる、自己の利益を捨てられない、というように利己心がある場合、我と汝の中間を見つけることはほとんど不可能です。われわれが中を発見しようと思えば、この利己心を捨てなければなりません。つまり中は公平なる精神から生まれるといえます。また中というものは選び取るものであって、そのためには正しい批判が要求されます。中は批判的選択の智慧です。
なかなか人間の悩みの本質を言い当てている。急を要する目の前にある悩みほど、実体以上に大きく大きく感じてしまい、これさえ解決すれば、万事がうまくいくはずだと、視野狭窄に陥ってしまい問題の全体を見通すことが出来なくなってしまう。「中道」を心掛けるということは言うほど易しいものではない。