正高信男『赤ちゃん誕生の科学』(PHP新書 1997)を読む。
妊娠から出産までの赤ちゃんの誕生にまつわる謎を、医学の見地からではなく、文化人類学や比較行動学の点から明らかにしていこうとする一風変わった本である。これまでの医学では正面切って取り上げられなかった胎教の当否やつわりの仕組み、お産の体位などを、新生児の記憶のメカニズムや男性のつわり、グアテマラのお産といった研究から分析を加えている。
また、ダウン症児発見の出生前診断については、話を大きく広げて予測医療そのものについて警鐘を鳴らしている。生まれつき目が見えない人は人一倍聴覚や肌の感覚が発達して自由に空間を移動することが出来る。また、先天的な聴覚障害の比率が異常に高かったマサチューセッツ州沖のマーサズ・ヴィンヤードという孤島では、島民全員が英語と手話の二言語を併用する文化を形成していたという。
現代人は視覚や聴覚などの限られた感覚システムだけに依拠して情報の獲得を行なう方向へどんどん傾斜を強めてきており、やがては、遺伝子の操作などによって出生前に判明した「障害」は「未然に」防止するといった特定の思想が、人間の誕生前から影響を及ぼすようになってしまう。
このような障害や疾病を完全な理性を持った人間と対立するものと捉える近代主義に陥った現代社会について、著者は次のように述べる。
解決策を見出すためにはとりあえず、われわれの身体がどれほどの可塑性に富むものなのかを、まず認識することが必要なのではないだろうか。そして今日では唯一、個性的な身体とのつき合いができているのが、実に障害者と呼ばれる人々なのである。健常者が身体を画一的に用いて、浅薄に生活しているのに対して、障害者の方が個々人の背負っている障害の質が、各々個性的な分、健常者では埋もれてしまっている可能性を、個性的に活用して生きているように思えてならないのだ。障害者が健常者よりも劣っているなど、とんでもない誤った考え方といえるだろう。障害を持つ人に生き方を学ぶ、障害者学というものが何より求められている。