高村光太郎『智恵子抄』(新潮文庫 1956)を読む。
精神分裂病(統合失調症)と診断され、7年間もの入院生活の末に他界した妻智恵子に捧げる愛の詩集である。智恵子が既に「人間商売をさらりとやめて、もう天然の向こうへ行ってしま」い、「もう人間界への切符を持たない」状態になってしまっても、純愛を貫く夫としての著者の意志の強さが数多くの詩にちりばめられている。「見えないものを見、聞こえないものを聞く」と錯乱状態になってしまった妻であるが、面会に行くと「わたくしの手に重くもたれて泣きやまぬ童女のやうに慟哭する」状態であったようだ。
しかし、そのような妻を高村氏は「をんなは付属品をだんだん棄てると、どうしてこんなにきれいになるのか」と可愛がり続けた。そして、妻がこの世を旅立ち10年を経た後も、「智恵子はすでに元素にかへつた。元素智恵子は今でもなほわたくしの肉に居てわたくしに笑ふ」と亡妻を偲ぶ。高村氏自身による「智恵子の半生」の記録と新潮文庫版の草野心平氏による解説とを並行して読んでいくと、詩が書かれた頃の背景が分かってなお感動が深まること間違いない。
『智恵子抄』
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