月別アーカイブ: 2022年12月

『ことばの歴史学』

小林千草『ことばの歴史学』(丸善ライブラリー 1998)をパラパラと読む。
著者の小林さんは成城大学や東海大学で教鞭をとった国語学者で、Wikipediaによると昨年鬼籍に入られている。中世の言語生活史を専門としており、係り結びの法則や二段活用、完了の助動詞などが、鎌倉・室町時代にどのような過程で崩れていったのか、例文を用いて詳細に説明している。副助詞の「だに」「すら」「さへ」の用法の変化や、格助詞「にて」が現代語の「で」になった音韻論的な考察など興味深い話もあった。
疲れが出てしまったのか、本を手にしたまま、風呂の中で船をこいでしまった。

『ノッポさんのドクトルふくろうの処方箋』

高見映『ノッポさんのドクトルふくろうの処方箋』(丸善メイツ 1992)をパラパラと読む。
吉田戦車さんがイラストを描いており、大人向け絵本のような体裁をとりつつ、寓話とも箴言とも違う、訳の分からない話が続く。全くとっかかりのない内容であった。

「チャイニーズドリーム in『赤いワイキキ』」

本日の東京新聞夕刊に、中国の海南島のビーチにサーファーの若者が集まっているとの記事が掲載されていた。12月に入っていよいよ冬将軍が訪れる中、半袖の若者が写っている記事に違和感を持った。

ケッペンの気候区分で確認すると、海南島は太平洋西部を流れる暖流上に位置する。北米のフロリダ半島のマイアミも同様であるが、北緯20度近い位置にもかかわらず熱帯に位置する。冬でも最寒月の平均気温が18度以上あるので、サーフィンができるのも納得である。

ついでながら、同じ理由で台湾にも熱帯気候区分の地域がある。そこではタピオカの材料のキャッサバが生産されている。

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『わが青春のサッカー』

堀江忠男『わが青春のサッカー』(岩波ジュニア新書 1980)を読む。
あまり興味もなかったが、あまりに突拍子も無い話が続くので、最後までついページを繰ることになった。著者は1936年に早稲田大学を卒業。同年8月に行われたベルリンオリンピックに日本サッカーチームの一員として参加している。その後、朝日新聞に入社後、早稲田大学政治経済学の講師となっている。講師を務めがなら、大学サッカー部の監督にも就任している。57年に同教授となってもサッカー部の監督を務め、釜本邦茂や西野朗、岡田武史らを育てている。

1936年のベルリンオリンピックは前年に東西学生対抗戦を制した早稲田大学を中心にメンバーが選ばれたとのこと。

また、イギリスのサッカー協会は1863年、明治維新の5年前に成立している。日本サッカー協会は英語でJapan Football Association(JFA)となるが、英国サッカー協会だけは国名が冠されずに、The Football Associationと呼ばれる。そのため、サッカーのことを別名「ア式蹴球」とも呼ばれる由来となった。

著者が2度目のサッカー部監督を依頼された際の心のうちが面白かった。いったいいつの時代だ!

革マルなど例のゲバ棒をふりまわす学生との団交の矢おもてに何度も立たされた。それが下火になったあとは、学内の改革を検討する「大学問題研究会」の責任者になって、それに全力をそそいだ。だが、1971年にはそれも一段落して、久しぶりに気楽な立場にもどっていた。

『細胞から生命が見える』

柳田充弘『細胞から生命が見える』(岩波新書 1995)をパラパラと眺める。
あまり興味も湧かず読み飛ばした。細胞を語る上でタンパク質が大事だということだけ分かった。
最後に著者は次のように語る。文系・理系の分け方の無意味さはよく理解できる。

この国の知的社会でもっとも不幸なことは、文系、理系というばかげた分類がありとあらゆるところで幅をきかせて、人を分けへだてていることである。このような分けかたはまったく百害あって一利なしである。このような分類がはびこると、国家的にも人的資源の枯渇化、衰退化をまねくと思う。現代の生命科学では大きな知的体系を生みだしつつあるが、これを学ぶのに日本的理系、文系の区別はほとんど意味がない。(中略)
私は、初等学校での理科は、なによりも情操教育でなければならないと信じている。おもしろい、不思議というこの2つの感情の育成を最大限に重視すべきである。この原則から離れた理科教育の理念は、長い目で見ればかならず失敗するであろう。これは断言してよい。理科教育のなかでも生物学は、なにかに深く接し、それを愛するという感情を育てるのにもっとも適している。