金井塚良一・大村進編著『埼玉県謎解き散歩』(新人物往来社,2011)を読む。
10名を超える執筆者がおり、埼玉県内の歴史や文学などに関する小ネタが2〜3ページで紹介されている。この手の本にありがちな参考文献の孫引きという域を出ないが、埼玉県庁の職員や学校の先生、博物館の学芸員の方が書かれているので、一つ一つの記事が丁寧にまとめられている。
663年の白村江の戦いで、新羅・高句麗に敗れた百済の官民の多くが日本に渡来することとなった。この時の渡来人の技術や文化、産業面での活躍の痕跡は全国に広がっている。また8世紀に入ると、埼玉県の日高市や飯能市に高麗郡、埼玉県志木や新座、和光周辺に新羅郡が設立されている。そのため、志木は「志羅木(しらぎ)」の略称だとする説は根強い。
1945年8月14日、ポツダム宣言受諾後に米軍数十機のB29は、伊勢崎・熊谷に最後の爆撃を行っている。当時、熊谷には中島飛行場の工場や陸軍飛行学校の軍事施設があったためである。1時間以上にわたって、約8000発、約600トンの焼夷弾や大型爆弾を低空飛行によって投下し、一夜にして焦土と化した。被害は市域の74%、全戸数の40%におよび、死者266人、負傷者約3000人に達した。
秩父34カ所の観音霊場は、坂東33カ所、西国33カ所と共に、日本百番観音に数えられている。観音巡りは、観音が現世の我々を救済してくれる菩薩であり、33に化身して庶民を救うという振興に由来する。秩父の札所はもともと33カ所であったが、百観音霊場巡りの信仰が生まれると、秩父札所に1カ所追加されて34カ所になったとされる。
