久保田孝一『地球科学』(八千代出版 1990)をパラパラと読む。
千葉商科大学で宇宙地球科学の講座を担当する著者が、講義で使う教科書として刊行された本である。
「宇宙の構造と進化」「太陽系の構造」「地球の概観」「地球内部の構造」「大陸の移動と海洋底の移動」の5つの章立てで地球科学全般を解説する。但し、三角関数や微積分の数式による説明が多く、大半を読み飛ばすことになった。授業の方は如何だったのだろうか。
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『怪談の道』
内田康夫『怪談の道』(講談社文庫 2013)を読む。
初出は1994年である。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も訪れたという鳥取県倉吉市を舞台にした殺人事件に、名探偵浅見光彦が挑む。鳥取県倉吉市に残る天の羽衣伝説や、戦後の原爆被害や原発反対運動、岡山県と鳥取県の県境にある人形峠のウラン開発などが盛り込まれており読み応えがあった。神話と歴史と社会問題が綯い交ぜになっている内田氏の面目躍如たる作品である。
初詣ライド2019
昨日は家から一歩も出なかったので、本日初詣ライドに出かけた。しばらく輪行をしていないので、帰りに浅草から特急で帰ってこようと、都心をぶらぶらと走った。
北千住周辺をウロウロ、小石川、早稲田、神保町をプラプラと走り、靖国神社を経由して帰ってきた。考えてみれば小石川にある蒟蒻閻魔(こんにゃくえんま)、伝通院、漱石山房記念館と、『こころ』に纏わる場所に立ち寄ってきた。
伝通院は思ったよりも大きく、浄土宗のお寺である。室町時代の1415年創建ということである。高台に位置し、創建当時は水が出ない地形だったのだろう。なお伝通院という名は、家康の母の於大の方の晩年の名前に由来し、遺骨が埋葬されている。敷地内に淑徳SC中等部・高等部が設置されている。
その後、都立竹早高校と学芸大学付属竹早小・中学校の周辺を走った。学芸大付属竹早中学校の生徒は隣にある都立竹早高校には進学しない。竹早教員保育士養成所も隣接している。その後、東京教育大学跡地に立ち寄った。筑波大学の建物はあるものの、敷地も狭く、3つの学部を擁する大学があったとはおよそ信じられない。
胸突坂から椿山荘脇を通って早稲田に赴いた。途中和敬塾という伝統ある学生寮の前を通った。何でも細川公爵家の本邸の西洋館を改築して使っているとのこと。早稲田大学の南門に立て看規制に反対する立て看が!!
浅草に向かう途中で、靖国神社に立ち寄る。あまりの人手と軍歌を放歌高吟するおじさんグループが目に余り、すぐに退散。昨年は明治維新150周年キャンペーンがあったためか、大村益次郎像もどこか誇らしげである。今年は三一独立運動、五四運動100周年にあたっており、少し風向きも変わるだろうか。
最後、浅草で輪行袋を広げる。しばらく使っていなかったので、10分以上かかってしまった。おかげで春日部に止まる特急に乗り遅れてしまい、1本遅い東武動物公園止まりの特急で帰宅。
『名水百選』
環境庁水質保全局水質規制課監修『名水百選』(ぎょうせい 1985)を読む。
官庁が作るものなので、北海道から沖縄まで各都道府県に最低1つずつ、バランスを考慮して湧水や清水、水源がとりあげられている。忍野八海や四万十川、養老の滝などの有名所から、長崎県・島原市内の生活湧水や群馬県・甘楽町の雄川堰などあまり知られていない所まで、写真と手書きの最寄り駅からのアクセス地図と合わせて丁寧に説明が加えられている。特に湧水池は弘法大師や昔の偉人にまつわる伝説と一緒に保存され、一般の人がおいそれと私物化できない仕組みが整えられている。
日本には水に纏わる諺や慣用句が多いが、改めて日本人の生活と河川の密接な関わりを学ぶことができた。
追伸
この「名水百選」は、現在環境省のホームページから見ることができるようになっている。
また、内容以上に、冒頭の当時環境庁水質保全局長を務めていた佐竹五六氏の文章が良かった。ゴリゴリの官僚的な文体であるが、時折紋切り型ではなく、個人の見解も挟み込まれ、著者の顔が見える良い文章となっている。自分の考え方に近いものであり、勉強のために引用しておきたい。
わが国は、古来生活条件としての水に恵まれてきた。南西アジアに起源を持つ稲作農業が日本列島に渡来し定着普及して以来、われわれの祖先は、細かい自然の地形を利用し、水利が容易であると同時に水害のおそれの比較的少ない土地に集落を形成し、生活を営んできたことが各地の遺跡等から窺われる。このように水との関係という視点からみれば、わが国の歴史は利水・治水両面からみた水の制御の歴史であった。
土木技術の低い段階においては、このような治水・利水両面における地域間の対立を調整するためのさまざまなルールがそれぞれの時代の政治権力によって支えられ、定着してきた。集落内部の日常生活における水利用についても、河川表流水、泉、人口井戸等利用水源の差異はあっても、用水、下水ともに、相互の利用に支障を生じないようさまざまな細かいとりきめが存在し、利用者によって守られていたとみることができる。このような事実は、農村であろうと都市であろうと基本的に異なることがなかった。水は、民衆の生活において、一面さまざまな恵沢をもたらす親しむべき存在であると同時に、他面一度荒れれば生活の根底を覆す恐るべき存在であった。人々は、水の利用に関する集落のさまざまなとりきめに従うとともに、その恐ろしさをわきまえて、つつましく暮らしてきたということができよう。
しかしながら、人口の漸進的増大によって、耕地と可住地の拡張が要請せられ、土木技術の進歩がこれを可能ならしめた。特に、明治以降、西欧の工学技術の導入によりそのテンポは一層急となり、河川の上流部から下流部まで堤防などの各種治水施設が整備され、洪水を速やかに海へ流すとともに、これら河川から水利施設によって取水された灌漑用水は網の目のように張りめぐらされた水路によって水田を潤した。もっとも、このような時代においても、日常生活における水との付き合い方には基本的な変化はなかったものとみて差し支えないであろう。もちろん、人口密度の高い大都市地域において、都市内中小河川の汚濁が発生していなかったわけではないが、東京、大阪等の近郊でも小川のせせらぎは残っており、昭和20年代に少年時代を送った者までは、なつかしい記憶としてこのような風景を心に留められているであろう。
このような水をめぐるそれなりに安定した関係を急激に変化せしめたものは、昭和30年代から40年代末までの経済の高度成長と、これに伴う生活パターンの著しい変化であった。
同期間における大都市への急激な人口の集積による集中的な水需要の増大は、水道資源を遠く河川上流部のダム群に求めるとともに、広域の排水網を形成せしめた。また、農村の都市化は簡易水道の普及と使用水量の増大をもたらした。このような急激な変化は、水利用に関するさまざまなキメ細かいとりきめを一挙に押し流し、水と人々の生活の結びつきは単に水道の蛇口で結ばれるのみとなり、それが生活上持っていたさまざまな意味は、都市においてのみならず農村においても急速に失われるにいたった。一度利用された水は、再度の利用を考慮することなく汚水として速やかに排除すべきものとされたのである。が、これを受け容れるべき下水道の整備は上水道の整備に遥かに遅れた。かくて、小川のせせらぎは失われ、広域に目立たない形で用排水路、中小河川等に汚濁が進行していった。その結果もあって、都市部においては、都市内中小河川の埋立あるいは暗渠化が、農村部においては用排水路の分離、用水路のパイプ化あるいは排水路の暗渠化等が進んだ。何れも、汚水は人目につかないようできるだけ早く下流に排除しようとする思想のあらわれとみられよう。一部に潤いのある空間の喪失を歎く声があったが、専ら効率を追求していた行政はもとより、高度経済成長に酔っていた人々の目に入るべくもなかった。その結果が、水質汚濁防止法による産業系の厳しい規制にもかかわらず、湖沼、内湾等の閉鎖性水域におけるアオコ、赤潮等の頻発であり、河川の水質改善の横ばい状況である。
民俗学者宮本常一氏は、「民衆が水を管理し、民衆が水を自分たちのものとして考えてこれを操作してゆく間は水は汚れるものではない。」と語っておられるが、以上述べたような事実を指摘されたものと理解して差し支えないであろう。この指摘の正しさは歴史的事実に照らし、何人も否定できないであろうが、水質問題の今日的状況からこれを如何に受けとめるか、その回答は必ずしも容易ではない。上水道の普及による使用水量の増大、水田の用排水路の分離等はいわゆる近代化のプロセスにおいて必然的に生ずる問題であり、問題のポイントは下水道整備のための公共事業予算の不足にあるとする意見も当然予想される。我々は、現下の財政事情が問題の有力な一つの原因であることは否定しないが、それのみに限定することは誤りであると考える。水質問題の今日的状況を解決するためには、何よりも、地域住民の身の回りの水質環境を浄化しようとする積極的意欲が起動力となる必要があり、そのためにも、再度、水と生活の結びつきを振り返って見るべきではなかろうか、と考えるのである。(後略)
『NO LIMIT』
栗城史多『NO LIMIT:自分を超える方法』(サンクチュアリ出版 2010)を読む。
「世界七大陸最高峰の単独・無酸素登頂に挑む若き登山家」という触れ込みの著者が、登山を志す意気込みや登山中の苦しみをポエム調で語る。ヒーローが活躍するアニメの曲の歌詞のようである。
最初から誰かに支持される冒険は、すでにできると思われていることだ。
本当の冒険は、否定されることからはじまる。
どれだけ否定する人が多くいたとしても、
その否定を応援に変えるほど、やりがいのあることはない。
他人の夢や志を信じられない人がいる。
彼らに夢や志を信じてもらうことが、僕らの使命だ。
否定を受け入れよう。
そのとき、敵なんて一人もいなかったことに気づくはずだ。夢を持ち、否定されても気にしない。
壁がきたときこそが、チャンスなんだ。
それを手にするためには、
また一歩を踏み出す勇気を持つこと。
成功の反対は失敗ではなく、
何もしないことなんだから。やがて自分のやっていることが道となり、
その道に花が咲くだろう。
だからあきらめないでほしい。
先程ネットで調べたところ、著者の栗城氏は昨年エベレスト登山中に滑落事故で亡くなっている。
冒険家や探検家という商売が成立しにくくなった現在だからこそ、恥ずかしげもなく冒険の意味を語ることが大切である。