日別アーカイブ: 2019年1月4日

『化学物質過敏症』

石川哲・宮田幹夫『化学物質過敏症:ここまできた診断・治療・予防法』(かもがわ出版 1999)を20分ほどで卒読する。
日本臨床環境医学会の設立に尽力した2人の著者が、アメリカの事例を参考に、化学物質過敏症の症例や原因物質、診断方法、免疫関連疾患、ホルモン・先天異常などについて、素人の読者にも分かりやすく説明している。医者が書いた本であるが、専門用語をなるべく避け、平易な表現で書かれている。
化学物質と一口に言っても、人類がこれまで開発した化学物質は1600万種(人が合成した天然でない化学物質。石炭・石油科学や、天然化学物質を化学的に修飾して変化させたものも含む)にのぼる。毎日2000種類の新しい化学物質が報告され続けているとも言われ、EUでは12万種類の化学物質が日常生活に入ってきているとしている。
人の体は過酷な外部環境に抵抗し、体の内部の環境をいつも一定に保とうと努力している。これをホメオスタージスと呼び、免疫、ホルモン、自律神経の3本柱がお互いに連動することで維持されている。化学物質過敏症はこの3本柱に障害を引き起こし、免疫の異常によるアレルギー、内分泌(ホルモン)の異常からくる子宮膜の異常や精子数の減少など、そして自律神経の異常症状であり、その症例は数え上げるとキリがない。
また、こうした化学物質過敏症は人間だけでなく野生動物にも影響を与えている。貝の雄性の不妊雌化や、ワニやカワウソのペニスの小型化、イルカのアザラシの悪性腫瘍の増加などが報告されている。

化学物質過敏症を突き詰めていくと、化学や医学の範疇に留まらず、生物学や環境学、他にも電磁波や超低周波音の被害など物理学の見地まで必要になっていく。学際的な研究が求められる分野であるという点は理解できた。

草加神社

仕事の関係で、草加駅西口にある草加神社へ出かけた。
また、交通安全を誓う。普段通いなれた道でも油断禁物である。
常に最悪を想定して安全運転に務めたい。

「中国が無断海洋調査」

本日の東京新聞朝刊に、昨年12月、中国公船が日本の排他的経済水域(EEZ)である東京・沖ノ鳥島沖で日本の許可なく海洋調査をしていたとの記事が掲載されていた。
中国外務省は「沖ノ鳥島は国連海洋法条約上、島の基本的要件を全く満たしていない、岩に過ぎない」とし、日本のEEZを認めていない。日本の外務省は「無断で調査することは認められない」と抗議している。

ウィキペディアによると、記事中の「海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)」では、「島」と「岩」について以下のように定義されている。

第121条 第1項:島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。
第121条 第3項:人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。

日本は沖ノ鳥島が海水面に沈んでしまうことを危惧し、海水面から少しだけ顔を出した「島(岩)」の周囲を鉄製消波ブロックとコンクリート製護岸、チタン製防護ネットで完全に保護する手立てを加えている。但し、上記の国連海洋法条約には次のようの条文もある。

第60条 第8項:人工島、施設及び構築物は、島の地位を有しない。これらのものは、それ自体の領海を有せず、また、その存在は、領海、排他的経済水域又は大陸棚の境界画定に影響を及ぼすものではない。

沖ノ鳥島自体はホットスポット型火山島なので、人口にできたものではない。但し、沖ノ鳥島の周囲に巡らせた人口物は島とは到底認められない。

ぶっちゃけ沖ノ鳥島が真っ当な「島」かと言われると、日本人でも首を傾げる向きが多いだろう。但し、尖閣諸島や南沙諸島と同じように、中国が軍事的圧力を背景に実効支配を進めるというのは間違いである。あくまで国際的枠組みの会議の中で議論を尽くすべきである。国際捕鯨委員会(IWC)の脱退のように、議論を打ち切るのではなく、会議の中で主張すべきは主張し妥協点を模索すべきである。

また、日本政府は中国に抗議するのと同じレベルで、日本の土地を蹂躙している米軍に抗議すべきである。沖縄を中心に日本の自然が破壊され、日本人の生命が脅かされている。北方領土も同じだが、米軍に対しては寛容・弱腰な態度をとる限り、中国・ロシアを納得させる外交は難しいであろう。

『紀行フランス革命』

本城靖久・渡部雄吉『紀行フランス革命』(新潮社 1989)をぱらぱらと眺める。
観光目的用の写真とフランス革命の史実の説明で構成されている。瀟洒な建物の写真だけ見ていると、当時の農民の悲惨な生活や牢獄での過酷な日常が綺麗サッパリと捨象され、映画や漫画で描かれるフランス革命における貴族のドラマしか浮かんでこない。「第三身分」の民衆の劣悪な生活環境に対する怒りが革命を引き起こした、という歴史の一番大切な部分から上手く目を逸らされてしまう。歴史学という視点からは気を付けておきたい点である。

『日本列島は沈没するか?』

西村一・藤崎慎吾・松浦晋也『日本列島は沈没するか?』(早川書房 2006)を読む。
小松左京の『日本沈没』や藤崎氏が書いた小説『ハイドゥナン』の2つのSF作品の背景となった、プレートの動きによる日本沈没の可能性や研究の最前線を小説に即して解説している。作品自体を読んでいないので、伝わらない箇所がいくつかあったが、地球の46億年の歴史を、46歳の中年の人生になぞらえた説明など、新しい視点で地学を理解することができた。

今から50億年後に太陽が赤色巨星と化して地球を飲み込むと考えられている。この1億年を1年として考えてみると、地球の寿命は96歳である。なかなかイメージしやすい。生命誕生が約40億年前といわれているので、地球が6歳のころである。そして約27億年前に地球の磁場が急に強くなり、地磁気が生まれたと考えられている。この磁場が宇宙から降り注ぐ高エネルギー粒子(宇宙線)を防いでくれるようになった。DNAを切り刻む恐ろしい宇宙線が届かなくなったことで、光合成をする生物が地表に出現した。地球が19歳のころである。

25歳ころの地球では真核生物が出現していた。DNAが膜に包まれて細胞核らしくなった核を持つ生物である。有性生殖もできる生物の完成である。そして地球が36歳のころに、アメーバやゾウリムシなどの単細胞生物ではなく、多細胞生物が誕生している。地球が40歳を超えたころ、多細胞生物は進化して固い骨格をもつようになり、いわゆる「先カンブリア紀の爆発」が始まる。地球が41歳のころ、生物はとうとう海から陸上への進出を果たす。このころが人生の「山」であろう。

ところが、2億5000万年前、地球が43歳のころに、あらゆる生物が大量に死滅する「谷」の時代を迎える。原因ははっきりとしないが、パンゲアという超大陸が分裂を始める時期と重なる。大規模な火山活動が起き、大量の粉塵が成層圏まで運ばれ、地球は暗黒の煙幕で覆い尽くされ、植物は光合成をやめ、大気や海水中の酸素が減って生物が死滅したと考えられる。この貧酸素時代は約2000万年も続いた。その後1憶8000万年にわたって爬虫類が我が世を謳歌した。地球の年齢で言うと1年と10か月にわたる天下である。しかし、46歳になった6500万年前に巨大隕石の衝突によって恐竜は絶滅している。地球の年齢で言うと8か月前の話である。その後哺乳類が誕生し、約700万年前、年齢でいうと25日前に人類と猿の祖先が分かれた。ホモ・サピエンス(現生人類)出現は今から20万年前。つまり地球にとって、たったの17時間前でしかない。縄文時代の始まりが約1万年前だったとすると、地球にとっての50分前である。

本書を読んでいて、いくつか興味深い点を書き出しておこう。

 恐竜が闊歩した中生代(2億5000万年前から6500万年前まで:三畳紀・ジュラ紀・白亜紀)の晩期の白亜紀は、二酸化炭素を含んだ火山ガスが大気中に放出され温暖化が進んだ時代である。海水面が上昇し、地球全体に浅い海が多くなり、そこにサンゴ礁が発達した。この時代に堆積した有孔虫というプランクトンの殻が堆積して石灰岩となった。この石灰岩は白いチョークという堆積岩からできており、白亜紀という名前のもととなった。

 1万2000人以上が犠牲になった1771年の八重山地震津波は、宮古島と石垣島の間の黒島沖の海丘の崩落が原因と考えられている。今でも黒島海丘の頂上からはメタンの泡が出ている。海丘がもうちょっと高くて島になっていたら、「沈没」と言われるところだ。
昨年の暮れに、死者400人超を出したインドネシアのスマトラ島やジャワ島で発生した津波は、海底で起きた地滑りが原因とされている。八重山地震もそうだが、地表の災害だけでなく海底における急激な地形の変化が恐ろしいということが理解できる。

 大陸上に氷床が広がっていた最終氷期は、2万5000年前をピークとして温暖化に転じ、約1万年前から現在の温暖な時代に移っている。約6000年前にだいたい今の海水準あたりに収まったようなのだが、その間の海面上昇は130メートルにも達する。途中約1万2000年前に「ヤンガー・ドライアイス」と呼ばれる急激に寒冷化した時代があるが、その後、融け残った氷床や融水による巨大な湖が大陸内にまだ存在していたと考えられる。当時、緑豊かだったメソポタミアがその後砂漠化したのは、過放牧や過耕作だけでなく、これら融水湖が消失してしまったためと考えられている。

 地殻とマントルの境界面をモホロビチッチ不連続面というが、この奇妙な語感の言葉は、クロアチア人の発見者の名前からとられている。ちなみにマントルと核の境界面はグーテンベルクウィーヒェルト不連続面といい、ドイツの地震学者の名前からとられている。1957年にアメリカはモホール計画というマントルまで掘削するプロジェクトを立ち上げる。これは「モホ」ロビチッチ境界面に「ホール」を開けるという意味である。

 太平洋は東太平洋海嶺で左右に広がっている。1年間に2センチというゆっくりとした速さで動いていくが、たった2億年で太平洋の端から端まで移動することになる。中生代初期の2億2500年前からかつて一つだった大陸がプレートテクトニクスによって動き始めた。世界最大の太平洋は6億年ぐらい前ごろに小さな海洋として誕生したが、5億年ぐらい前から縮小を始めている。あと2~3億年ぐらいするとアメリカ大陸と南アメリカ大陸はユーラシア大陸と衝突し、太平洋は消えることになる。大陸が地球を一周し、南極大陸を除くすべての大陸がまた一つになると予想されている。