日別アーカイブ: 2019年1月21日

『二人の平成』

橋本治・中野翠『二人の平成』(ちくま文庫 1995)をさらっと読む。
1991年に刊行された本に加筆された本である。文芸評論を手がける両者の対談集となっており、平成の始まり頃の文芸時評である。両者も半歩時代を先取りした視点から社会やマスコミを見ており、当時の時流に対する文句が続くだけで、あまりおもしろいとは思わなかった。
その中で、橋本氏の天皇制に関する話が興味深かった。引用してみたい。

(橋本)というか、それこそあの人(今の天皇)は自発的にものを考えるってことを徹底して受けさせられちゃった、そういう意味では前の天皇とは逆の意味の特殊な人でしょ。だから、ずーっと状況が変わってくのに従って、「自分で考えて、こうします」っていうふうに、天皇制の最後の決着をつける義務を持った人なんじゃないかなあと思うの。だから、それをそばでぐちゃぐちゃ言うのは変で、「天皇だって人間なんだから、”天皇をやめる”って言う権利はあるはずだ」ぐらいのことを言い出せばおもしろいのになって思うんだ。
(中野)言うはずないじゃない。
(橋本)ないけど。でもわかんないよ。だって定年まぎわにスポットが当たっちゃって、自分じゃ半分定年の準備をしてたような人が現役に復帰させられて、ある意味で「現役をやる準備はずっとしてなかった」ってことになるとヤバイじゃん。天皇をやるってことよりも、自分の息子の父親やるってことが、あの人にとってはすごく大きな空白のはずなんだよね。だから、二人そろって天皇の息子をやってたって気がするの。皇太子と皇太孫じゃなくてあれは親子っていうより兄弟のような気がするわけ。その弟のような息子が皇太子ってことになっちゃったら、父親は次に継承するってことを考えなくちゃいけないわけで、そうなった時に、さらに次の時代の天皇ってことを突然考えなくちゃいけないわけでしょ。それが一番辛いと思う。(後略)