先日、ここ数年の懸案だった試験が終了した。
まだ結果は出ていないが、出来は芳しくなかった。
しかし、わだかまりがスッキリと解消し、道筋が見えるようになった。
じっくりとこれからの1年間を使っていこう。
月別アーカイブ: 2017年8月
『黒い雨』
井伏鱒二『黒い雨』(新潮文庫 1970)をパラパラと読む。
広島長崎原爆投下の日に合わせて手に取ってみた。
戦後20年を経て、原爆後遺症に悩まされながら、1945年8月5日から15日までの10日間の広島での「被爆日記」を清書しなおすという形で、20年経っても脳裏に焼きついている黒い雨の下での苛烈な体験を浮かび上がらせている。
解説の中で紹介されていたのだが、井伏氏は次のような文章も残している。どぶのなかに残したままの青春のかけらという一節が印象に残る。
私は学生時代の六年間、ときには例外もあったが殆ど早稲田界隈の下宿で暮し、学校を止してから後の四年間もこの界隈の下宿にいた。したがって私は青春時代の十年間、この界隈の町に縁があった。云いなおせば私は青春という青春をこの辺のどぶのなかに棄ててしまった。いまでもこの町の裏通りを歩いていると、見覚えのある穢いどぶのなかにはまだ自分の青春のかけらが落ちているような気持がする。
『新釈雨月物語 新釈春雨物語』
石川淳『新釈雨月物語 新釈春雨物語』(ちくま文庫 1991)を手に取ってみた。
雨月物語オリジナルの解説を書いている三島由紀夫氏の文章が格調高かった。
『堕落論』
坂口安吾『堕落論』(角川文庫 1957)を少しだけ読む。
確か高校3年生の時に買って以来、いつか読むだろうとずっと本棚に眠っていた本だったように記憶している。高3の冬に横浜駅の有隣堂という本屋で買ったんだっけ?
戦前から戦後にかけての雑誌に掲載されたもので、当時の時代状況が分かっていないと楽しめない作品であった。その中で印象に残った一節を引用しておきたい。
女の人には秘密が多い。男が何の秘密も意識せずに過ごしている同じ生活の中に、女の人はいろいろな微妙な秘密を見つけだして生活しているものである。(中略)
このような微妙な心、秘密な匂いをひとつひとつ意識しながら生活している女の人にとっては、一時間一時間が抱きしめたいように大切であろうと僕は思う。自分の身体のどんな小さなもの、一本の髪の毛でも眉毛でも、僕らにはわからぬ「いのち」が女の人には感じられるのではあるまいか。まして容貌の衰えについての悲哀というようなものは、同じものが男の生活にあるにしても、男女のあり方はにははなはだ大きな距(へだた)りがあると思われる。(中略)
女の人にとっては、失われた時間というものも、生理に根ざした深さを持っているかに思われ、その絢爛たる開花の時と凋落との怖るべき距りについて、すでにそれを中心にした特異な思考を本能的に所有していると考えられる。事実、同じ老年でも、女の人の老年は男に比べてより多く救われがたいものに見える。思考というものが肉体に即している女の人は、そのだいじの肉体が凋落しては万事休すに違いない。女の青春は美しい。その開花は目覚ましい。女の一生がすべて秘密となってその中に閉じこめられている。だから、この点だけから言うと、女の人は人間よりも、もっと動物的なものだというふうに言えないこともなさそうだ。実際、女の人は、人生のジャングルや、ジャングルの中の迷路や敵の湧き出る泉や、そういうものに男の想像を絶した美しいイメージを与える手腕を持っている。もし理智というものを取り去って、女をその本来の肉体に即した思考だけに限定するならば、女の世界には、ただ亡国だけしかあり得ない。女は貞操を失うとき、その祖国も失ってしまう。かくのごとく、その肉体は絶対で、その青春もまた、絶対なのである。
東京新聞国際面から
マニラで開かれていた東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の会合が終わった。北朝鮮の核・ミサイル問題を巡り、北朝鮮包囲網を構築したい米国と、現状維持を望み、圧力強化に慎重な中国が激しい駆け引きを繰り広げ、ASEAN諸国は双方の顔を立てようと腐心したとの記事が出ていた。
関係図も掲載されているが、複雑怪奇な国際政治が舞台裏が垣間見える。ASEANはベトナム戦争中の1967年、仏教、イスラム教、キリスト教など主要な宗教が異なり、民族も政治もさまざまな国であるが、米国の支援のもと、反共主義に賛同するという共通点で設立された経緯がある。その後、ヴェトナムやミャンマー、ラオスなども加わり、現在では10カ国体制となっている。しかし、大国の思惑が激突する地政学的側面は避けられない。北朝鮮のミサイル発射にほとんどの国が批判を表明したものの、その実効性には疑問符が付きまとう。
その中で、北朝鮮に近い(支援している?)中国は、貿易や投資でフィリピンとの連携を深め、さらにカンボジアやラオスをも籠絡する作戦に出ている。一方米国は、南シナ海で中国と領有権を争うベトナムとの関係強化に乗り出し、主体性のない忠犬的役割を担う日本を利用して、インドネシアやタイ、マレーシアとの絆を深めつつある。タイ・タマサート大のロビン・ラムチャラン教授が「ASEANは冷戦期も大国による覇権争いの中で、うまくかじ取りをした。これまで習得した知恵を生かす必要がある」と述べるように、域外の大国同士の衝突に巻き込まれず、宗教や民族を超えた地域の安定という原則を大切にしてほしい。