東京都立久留米高校教諭・沼野鹿之助さんのレポート「生き残った学徒兵・高校教師の覚書」(『道徳教育の実践』,総合労働研究所,1981/11/16)を読む。
著者は戦中派の世界史教師として、長年都立高校の教壇に立ってきた方で、自ら培った教育実践が披露されている。冒頭「感銘を与える授業なしに生徒指導は成立しない」とある。著者は世界史を教えるにあたり、「物事をきちんと順序を踏んで正しく見る力と自分の意見と考えをその年齢に応じて持ち、それをきちんと言える力と自分の生き方を創っていく」ことが社会科の目的であり、その目的に向かうために、授業の中で生徒を厳しく育てることが大切だと述べる。
また、授業の中身ついてに、著者は次のように述べる。
世界史で展開される個々の事象の中で巧く機会をとらえ、どんな古い時代、離れた国のことを教えていても、生徒の実感、生活意識に食いこんで、今の私たちの生き方として理解できるようにすることが大切だと思う。それが「道徳」教育の一環だと言えるのなら、私は抵抗感のある「道徳」という言葉を心から肯定する。
最後に、著者は次のように述べる。
一番大切なことは、教師というよりも、知識層と呼ばれる私たちが、石川啄木のいう「慢」を捨てろということだと思う。知識層の一番の弱点、己の「学識」で人間を見くだしたとき、「できない」子であろうと誰であろうと必ず背負い投げを食わせる。そのことを自分の前掛の中に隠し、どんなに人権を説き、憲法を語り、フランス革命を語ってもむなしい。