太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書 2006)を読む。
雑誌「すばる」2006年7月号、8月号に掲載された対談集である。
お笑い芸人と学者という立場の違いこそあれ、ともに憲法九条の意義を認めた上で、憲法解釈には触れず、憲法そのものを活かし、残す形について意見が交わされる。
太田氏は憲法九条を世界遺産にする理由について次のように述べる。
戦争をしていた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向かい合えたのは、あの瞬間しかなかったんじゃないか。日本人の、十五年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだし、国の境すら超越した合作だし、奇蹟的な成立の仕方だなと感じたんです。アメリカは、五年後の朝鮮戦争でまた振り出しに戻っていきますしね。
僕は、日本国憲法の誕生というのは、あの地塗られた時代に人類が行った一つの奇蹟だと思っているんです。この憲法は、アメリカによって押しつけられたもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそう思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思います。
戦後、この憲法については、変だぞ、普通じゃないぞと言われることが多い。でも、あの奇蹟的な瞬間を、僕ら人類の歴史が通りすぎてきたのだとすれば、大事にしなければいけないんじゃないかと思う。エジプトのピラミッドも、人類の英知を超えた建築物であるがゆえに、世界遺産に指定されているわけですね。。日本国憲法、とくに九条は、まさにそういう存在だと思います。
中沢氏は、憲法九条を世界遺産にする根拠を次のように述べる。
(太田氏が、憲法九条を持ち続けている日本をミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』のご主人ドン・キホーテに準え、しっちゃかめっちゃかに見えるかもしれないけど、面白く、エネルギーを感じると言った後で)
そのドン・キホーテのそばに、「旦那、旦那が言ってることは常軌逸していますよ」と言い続けているサンチョ・パンサがいることが、また大事なことなんですね。だから、二人組になってるわけでしょう。
たぶん日本もこれまでそうやってきたんだと思います。自衛隊の問題でも、「旦那は、ああ言っているけど、とにかく武力を全部捨てるというのは危険だから、ちょっとこういうものをつくっておきましょうぜ」とサンチョ・パンサ的な存在が入れ知恵して、国家の安全を保ってきた。しかし、これがサンチョ・パンサだけになってしまうと困るわけで、サンチョの人生に意味をあたえるのは、常軌を逸したドン・キホーテなんですね。
太田さんがうまく言ってくれたけれど、日本が世界の中でも珍品国家であるのは、ドン・キホーテのような憲法を持ってきたからです。サンチョ・パンサだけではできていなかった。僕は現実家としてサンチョ・パンサが大好きです。「旦那はそう言うけど、あれは風車ですぜ」と言って、現実的な判断をしてくれる人がいることは大事なことです。戦争はこれを永久に放棄するといっても、「ミサイル撃ち込まれたら、どうするんですか、旦那」と、言い続ける人たちがいることは必要なことだと思います。
ただただ平和憲法を守れと言っている人たちは、日本がなかなか賢いサンチョ・パンサと一緒に歩んできたのだという事実を忘れてはいけないと思います。そのことを忘れて現実政治をないがしろにしていると、「旦那を殺して、俺の天下に」と、サンチョ・パンサだけが一人歩きし始める危険性がある。日本国憲法というドン・キホーテは、戦前の国家主義的ドン・キホーテよりも、ずっといい考えをしています。ドン・キホーテ憲法とサンチョ・パンサ現実政治の二人が二人三脚をしてきたゆえに、日本は近代国家の珍品として、生き抜いてこられた。だからこの憲法は、まさに世界遺産なのです。