本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」の文章を引用してみたい。ちょうど小林よしのり『「個と公」論』という本を読んでおり、ふと目が止まった。「公(奉仕)」を賛美し「私(わがまま)」を押さえつけてきた過去の「戦争」によって日本人の美徳が醸成されたと述べた小林氏の『戦争論』への批判に対して、小林氏が誌上で反論を加えるという内容である。読めば読むほど小林氏の弄言に頭を傾げてしまうのだが、コラムの後半はそうした小林氏に対する批判ともなっている。
本年の正月の本欄に「今年はデモクラシー再考の年である」という文章が載った。その通りの展開だったというほかない。概算で全有権者の四分の一の票を得たにすぎない自公が秘密保護法案を強行採決で通したからだ。両院とも「違憲(状態)」と裁かれている国会がこんな暴挙に出られること自体、日本のデモクラシーが名ばかりの制度になっていることの証明だ。政府(お上)のいうことを国民(平民)は黙って聞けといのが本音なのだ。
そして今度は、これまでに三度も廃案になった共謀罪法案が浮上した。その先に狙われているのは改憲であり、「戦争放棄」の放棄だろう。国際情勢を読む目も、粘り強く交渉する政治力もない自民党幹部たちは、愛国心による戦争をカッコいいと美化する小児病に罹っているようだ。
そんな世相の中で多くの人に読んでもらいたい本が出た。やなせたかしの『ぼくは戦争は大きらい』(小学館)である。やなせは中国で戦争を経験したが、その実態はじつにカッコ悪い。そこから付和雷同の戦争賛成でもなく、観念的な反戦でもなく、受動的な厭戦でもない、「戦争は大きらい」という強い意志が生まれてくる。戦争を生きた人のリアリズムである。