日別アーカイブ: 2013年12月6日

『テロリズムと報道』

特定秘密保護法案に関する新聞記事を読んでいたところ、社説に、ポーツマス条約においてロシアから賠償金が得られなかったことで国民の不満が高まり、東京の日比谷公園で行われた集会をきっかけに各地で騒動が起った一連の日比谷焼打事件は、日露戦争において政府が戦争の実態を隠して「連戦連勝」とアピールしたことが原因であるとの作家吉村氏の言葉を紹介していた。

政府とマスメディアの関係について調べてみたいと思い本棚を漁ったところ、学生時代に大学近くの古本で買ったと記憶している、現代ジャーナリズムを考える会・編『テロリズムと報道』(現代書館 1996)という本を見つけて駆け足で卒読した。
一連のオウム真理教事件の報道を巡って、テレビキャスターや新聞記者、弁護士たちによる過剰報道への検証と、あるべきジャーナリズムへの提言となっている。坂本弁護士一家失踪事件や松本サリン事件など警察の間違ったリーク情報に流され、他社との競争の中で犯人を仕立て上げていく過程が丁寧に分析されている。またTBSのビデオ問題についても触れられ、監督官庁の行き過ぎた指導が報道の自由をゆがめてしまったのではという危惧も出されている。

しかし、テロリズムを報道する側の倫理や使命、また人権派との微妙な距離感といった話が中心で、現在政府が進めている恣意的な認定によるテロなどの情報の永久の秘密化といったぶっとんだ内容に関するような話は全くなかった。十数年前には信じられないようなSF的世界に我々は足を踏み込んでいるということであろうか。

現代民主主義版「刀狩り」

本日の東京新聞朝刊は一面から社説、政治面、社会面に至るまですべて秘密保護法案に対する懸念の記事であった。
一面コラムの「筆洗」の内容も然ることながら展開も秀逸であったので、じっくりと一言一句噛み締めながら引用してみたい。

「分」という字の中には、「刀」がある。八の字を左右に切り分けるから、分ける。そして「分ける」という言葉から「分かる」も派生したという。
確かに、分けることは、分かることの始まりだ。植物と動物、蝶と鳥、星と月…。そのものの形と質の違いを見極めて、分類を重ねることで、人間は自然への理解を深めてきた。
逆に言えば、きちんと分けられないということは、分かっていないということだ。デモをテロと同一視した自民党の幹事長は、恐らく分かっていないのだろう。民主主義における自由の本質と、それを脅かす恐怖との違いが。
いや、一政治家の問題ではない。特定秘密保護法案は、テロを〈政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要…〉する行為だとする。漠としたこの定義で、何がテロかを区別できるのか。これならば、デモをテロと呼ぶことすらできるのではないだろうか。
そもそも、どの情報が守るべき秘密かを分ける物差しの形すら曖昧模糊として、国民には分からない。国を動かす情報を切り分ける力を持つのは、閣僚と官僚だけ。民主主義とは、刀の代わりに言論を戦わせる制度だが、正確な情報がなくては、分別の刀もふるいようがない。
要するに、秘密保護法とは、政府に都合の悪い言論を封じるための、現代民主主義版「刀狩り」のようなものではないのか。

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