本日の午後、法政大学の通信教育の説明会に参加した。模擬授業やメディアスクーリング体験、個別相談、キャンパスツアーなど盛りだくさんであった。人寄せパンダなのか、キャンパスツアーでボアソナードタワーの最上階に案内された。さぞかし夜景が奇麗なのだろうと容易に想像させる眺望であった。
通信教育の文学部地理学科の話を聞きたくて伺ったのだが、教員紹介のしおりなどを見て、逆に自分で勉強した方がいいのではという思いも芽生えてきた。さてどうするか。この年末年始に自分の今後の身の振り方を考えてみよう。
日別アーカイブ: 2013年12月21日
「國分×古市×速水〜90年代論」
ポッドキャストで配信されていた、文化系トークラジオLife「國分×古市×速水〜90年代論」(TBSラジオ 2013/11/11)を聞いた。
紀伊国屋サザンシアターで開催された、1973年生まれの速水氏と、1974年生まれの国分氏、1985年生まれの古市氏の3氏が、1980年代末から90年代後半の政治や思想、流行を思うままに語るトークイベントの録音である。小室哲哉やゴーマニズム宣言、ニューアカ、ケータイなど次々と話は広がっていく。
同世代として懐かしさを感じるような話もあったが、イラッとくるような「違和感」の方が多かった。それは、國分氏の「1990年代の自分の周りの学生は、ゴーマニズム宣言を読んで厚生省前のデモに参加し、セクトに絡めとられてしまう「ピュア」な学生か、マルクスを単純に崇拝するだけ、もしくはレーニンを批判するだけの総じて頭の悪い学生が多かった」といった風なニュアンスの発言を聞いて感じた「違和感」である。
これ以上の詳述は止めておこう。
『そして殺人者は野に放たれる』
第3回新潮ドキュメンタリー賞受賞作、日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫 2003)を読む。
2003年に新潮社より刊行された単行本の文庫化である。刑法39条が拡大的に解釈され、加害者の弁護側だけでなく、検察や司法も、意図的な残忍な殺人ですら無罪もしくは減刑を判じている実態を明らかにしている。
刑法39条は「1.心神喪失者の行為は、罰しない。2.心身耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」とあり、元々は心神喪失者や心神耗弱者といった正常な判断ができない人たちの権利を守るための条文である。しかし、精神科医に委ねられた鑑定書がほぼ加害者の更生の可能性を抹殺しない内容となる以上、起訴して無罪判決になると困ってしまう検察や、医学に踏み込めない司法は、安易に心神喪失と正常の間の心神耗弱を持ち出して、刑の減軽を計ることで丸く収めようとする。しかし、そこには被害者や被害者の家族の気持ちは忖度されない。
非常に刺激的なタイトルであるが、重度の精神障害や知的障害の行為については配慮が必要であると明示しつつ、刑法39条を前にして思考停止状態に陥っている司法現場に痛烈な疑問を投げかけている。都合のいい事例ばかりが挙げられているが、刑法39条そのものの欠陥を指摘する熱意はよく伝わってきた。