日本大学の大学総合パンフレット(2014年度版)を読む。
日本大学の全14学部84学科・22研究科・短期大学部6学科・通信教育部の全てを網羅したパンフレットとなっている。およそ受験生が手に取るパンフレットというよりは、日本大学の全体像を紹介する理事会の事業案内のような体裁である。このパンフレットをじっくり読む人は、よほどの日大マニアであろう。
獣医から哲学、日本舞踊、海洋生物、航空宇宙までおよそ思いつく限りの全ての学部学科が揃っていると言っても過言ではない。また、「数字で見る『日本大学のここがNo.1』」というページには、学生数68,675名、女子学生数20,197名、大学図書館蔵書数5,732,594冊、インターンシップ参加学生数2,347名、就職支援部門の職員数76名、校舎面積995,812㎡、卒業生総数1,079,563名、出身大学別社長数23,402名など、これでもかと赤ゴシック文字でデカデカと宣伝されている。
1989年に創立された日本法律学校を前身とし、1901年高等師範科(現・文理学部)、1904年に商科(現・経済学部並びに商学部)、1920年に高等工学校(現・理工学部)、1921年に美学科(現・芸術学部)、東洋歯科医学専門学校(現・歯学部)を合併、1925年に専門部医学科(現・医学部)、1943年に農学部(現・生物資源科学部)が設置され、戦前の段階でほぼ現在の学部の陣容が揃っている。戦後になってから、1947年に専門部工科(現・工学部)を福島県郡山市に移転、1948年に通信教育部、1950年に短期大学部、1952年に薬学部と工業経営学科(現・生産工学部)、1971年に松戸歯科大学(現・松戸歯学部)、そして1978年に国際関係学部を静岡県三島市に開設している。
数多くの学部学科があるが、都心部の学部は戦前から伝統あるものであり、戦後千葉や静岡に学部を多数開設しているが、それも1978年を最後に新しい学部は設置されていない。
この点が80年代後半のバブル期を中心にいたずらに学部学科を濫造してきた他大との違いであろう。25校もの付属中学高校を経営する理事会である。偏差値50ちょいの中堅校という位置を変わらずに維持し続け、難関校受験者の滑り止めとして、勉強が進まない受験生の志望校として、しっかりと受験生を集めている。日東駒専と受験界では一括りにされるが、その4校の中でトップに居続けるのは並大抵の経営努力ではないであろう。
改めて、学校法人「日本大学」のデカさを知ることとなった。