奥野健男『日本文学史:近代から現代へ』(中公新書 1970)を読む。
表題通り、明治時代の仮名垣魯文から、1970年代の昭和を代表する大江健三郎、野坂昭如に至るまで文壇で活躍した文学者をほぼもれなく網羅している労作である。近代文学が常に時代に左右されながら、そして時代に翻弄される人間の姿に迫ろうとしてきたと、著者の奥野氏は文学の「発展」を主張する。明治から綿々と連続して文学の発展という視点で文学者、文学作品を位置づけており、大変分かりやすい文学史論になっている。
以下、何を言っているのやらさっぱり分からない引用文であるが、本書を読むと妙に合点がいく不思議な文章である。
明治以来の1世紀の日本文学を考えると、それは江戸時代の戯作文学と意識的に断絶を志し、西洋近代文学を全的に輸入、摂取し、日本という特殊な風土に、断絶しようとしてもしきれなかった先年余の日本文学の伝統のうえに、狭小ではあるが独自な深い私小説中心の近代文学を確立しました。それが大正時代のデモクラシーの中でようやく文学的に成熟したとたん、世界史的な近代の崩壊にぶつかったのです。新しい現代文学への模索は、大正末期から”革命の文学”と”文学の革命”と対立しながら、太平洋戦争を含む動乱期を試行錯誤をかさね、戦後15年たって、西洋先進国の近代本格小説への文学的コンプレックスが消滅し、ようやく今日過酷な時代状況の認識のもとに、主体的に世界史的な意味の現代文学を日本にも成立させ得る端緒についたというのが、日本文学の現在にいたる鳥瞰図です。