西修『日本国憲法を考える』(文春新書 1999)を読む。
駒沢大法学部教授である著者が、厳格な法定主義の立場から現憲法の制度的、構成上の不備を指摘し、ちょうど自民党の中道的な改憲論を述べる。国民主権と謳いながら、第99条の憲法の尊重擁護義務の主体に肝心の国民が入っていない不備を指摘する。また、「権利」という語はいきおい「権力と利益」を連想させ、力にまかせて私利私欲を実現することが「権利」であるというふうに捉えかねないので、ものごとの条理、道理を表す「権理」という訳語を提案する。不備のある憲法を完成させようとする著者の主張は分かりやすい。
そして、9条については前文の国際平和への希求を前提に、自衛のための組織保持の明記と徹底したシビリアンコントロール、そして、国際平和維持活動への参加と国際法規の遵守を入れるべきだと述べる。西氏は改憲について次のように述べる。
第九条の改正が俎上にのせられると、かならず「いつか来た道」に逆戻りするのではないかという議論が出てくる。そのような心配は、十分に理解できる。けれども、戦後の民主主義教育は、そのような逆コースを許すほど、やわではないと私は信じる。一方で国際平和を誠実に希求し、他方で国の安全をきちっと保持しうる内容であれば、国民の合意を得るのにけっして不可能ではないように思えるのだが。
9条にまつわる改憲問題は9条の条文だけの問題ではない。戦争に反対する声を封殺する自由権や排外主義的な雰囲気を生み出す平等権などとも関わってくる国の根幹の問題である。9条だけに話を限定させ、話を展開させる手法には納得出来ないものが残る。