宮坂広作『日本社会の変動と教育』(潮新書1976)を読む。
オイルショックを経て、重厚長大産業へのシフト化を中心とした高度経済成長に対する信頼の揺らぎが見えてきた70年代半ばの教育のあり方について提言を述べている。この当時は高校進学率が90%を越え、単に高校を新設をすれば教育環境が改善するといった見方が影を潜め、人間的な教育が模索されていた頃である。中央教育審議会も「46答申」として有名な「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」という答申を出している。
30年近く前の本だが、現在の日本の教育行き詰まりの原点が端的に述べられている。総合的な学習の時間や道徳の時間の充実からこぼれていく教育の根幹について具体的な実践が求められている。
学校教育の振興について、全国水準とのギャップを指摘して目標値を設定するやりかたや、義務教育での学校統廃合、開発地域での学校新設、校舎鉄筋化や、高校における総合制高校の単独化、学科の多様化などで、「個性の埋没、連帯感の喪失」を克服して、「みずからの主体性を取りもどし、実践的な社会性と創造的な課題解決能力を備えた、健康でたくましい人間」になることが保障されるであろうか。教育内容の充実についての施策として、公共心の育成、福祉教育の推進、郷土教育の充実、豊かな人間関係の醸成をめざす「宿泊共同生活学習の推進」などがあげられている。現在、日本の教育に画一化の弊がみられ、没個性化、連帯感喪失の傾向が顕著になってきていることは、まさにそのとおりである。しかし、それらの欠陥を真に克服するための方途は、右(上)の教育計画が列挙しているような施策であろうか。むしろ病根はもっと深い所にあり、解決策はさらにラディカルでなければならない。60年代の教育は、生徒間の学力差、学校間の格差を著しく増大させ、学業成績のふるわない子、二、三流の学校に行っている子どもに劣等感を抱かせるようにしてしまった。人間を尊重し、ひとりひとりを大切にするという理念に根ざす地域教育計画が、こんにち最大の課題とすべきは、こうした非人間的教育体制から子どもを解放することである。