五木寛之『大河の一滴』(幻冬舎 1998)を読む。
親鸞や蓮如についての著作も多い五木氏は、自殺や神経症が増える世相において、等身大の自分に真摯に向き合い、スーパーマンでも女優でもないごくごく普通の人間でしかない自分を素直に受け入れることを提案する。人と比べて、兄弟と比べて自分を計るのではなく、自分の尺度で自分のあり方を見定めることを滔々と述べる。説教臭い五木氏の最近の著作は好きではなかったが、現在のように逼迫した状況に置かれると、ついつい頷きながら読んでしまう。
ぼくらは、人間は努力して世のため人のために尽くし、そして名を上げ、という明治以来の出世主義そのものをストレートではないにしろ受けとめ、なにかやるということを大切に思って育ってきた世代です。しかしいまあらためて考えるとき、なにもやらなくてもよい、失敗した人生であってもよい、それはそれで、人間として生まれてきて、そして人間として死んでゆく、そのことにおいて、まず存在に価値があるのだ、と思うことがある。