岩崎駿介『地球市民として生きるー市民による海外協力』(岩波ジュニア新書 1989)を読む。
近年、早稲田の国際教養学部など、大学においてNGOの体験活動プログラムや国際ボランティアなど、これまでの大学での教室と黒板での学びとは対峙的な体験型のフィールドワークの科目が並んでいる。高校生の将来の取り組みにも堂々と「NGO」という用語が入る。著者は単なる優しさの切り売りのようなボランティアではなく、自らの出自や国籍を越えて、地球市民という意識に自らのアイデンティティを変えていくことが求められていると説く。著者は明確に政府によるODAと民間によるNGOを対比的に捉えており、筆者の語を借りるとNGOは大体次のようにまとめられる。
NGOとは、Non-Government Organizationの略語で、直訳すると「非政府組織」、転じて「民間援助団体」、さらに意訳して「民間公益団体」などの言葉が当てられる。「海外協力の市民組織」を意味すると理解するのが一番適切だ。そして、NGOの活動の特徴としては、政府開発援助の方法に比較して、人の要素を重視すること、あるいは対象とする社会的条件とのバランスを尊重し、決して「もの」を先行させないという点が挙げられる。対象とする地域をよく調査し、その地域の人々が今の状態を少しでも改善しようと「努力する力」の程度に応じて、必要な「制度の改善」や「働く意欲」などの社会的条件を重視する。無責任なODA(政府開発援助)のように灌漑設備や病院などの「もの」をただ与えるのではなく、必ずそれを運営管理していく住民の意識や組織などの社会的条件を改善しつつ、プロジェクトを推進していく。そのために、その社会の歴史、伝統、文化、言語、宗教などの特性について十分に勉強することが必要である。それだけの時間と労力を費やして、初めてその他の人々とともに努力する資格を得ることができる。そうした努力を経ることで、「援助する側・される側」という枠を越え、当該の住民が主人公となり、自らの手で自国の復興と発展を担う人材と社会基盤の形成が達成される。
そして、筆者は最後に次の言葉で海外における援助活動をまとめる。
ここに、ある大学4年生の女性の言葉があります。
「私が、今、ここで日常何げなく口にし、身につけ、使っているものは、実は遠いところで、私の知らない人が血を流しながら作ったものかもしれない。いや、遠いところだけではなく、気がつかないがごく近いところで、同じような扱いを受けている人々によって、作られたものかもしれない。私は、そのことを知ってしまった以上、私の内にある『変だ、何故だろう。許せない』という感情を捨てることができません。また、よく見えないけれど、そんな歪みを持つ日本社会の中に、確かにある不当な構造と、それを無条件で肯定しているものすべてに、どうしようもない憤りを感じるのです」
このような自覚のもとに、変革の運動が始まります。しかし決して他人ばかり悪く言ってはいけません。それは、多くの場合、自分自身もそれに加担しているからです。したがって、自分の生活を見直すところから、始めねばなりません。しかし、自分だけでは変えることができません。周囲の人と共に考え、明確になったことをはっきりと社会に表明していくことが大切です。世の中には、黙っている分には間違いないだろうと、悪を承知で押し進めようとする人たちがたくさんいるからです。
構造を知り、自分の生活のあり方を変え、社会的な変革をはかっていくことこそ、いつの時代にも要請されています。