月別アーカイブ: 2003年7月

『議員秘書』

龍崎孝『議員秘書:日本の政治はこうして動いている』(PHP新書 2002)を読む。
1980年以降の経世会の盛衰を追いながら、秘書の立場から政治の舞台裏を眺めるという視点で書かれている。「おやじ」である議員の落選で自らの立場もなくなってしまう存在である以上、政策秘書といえど純粋な政治活動よりも議員の延命活動に力を注がざるを得ない。秘書という人間の目を通して自民党の舞台裏を見ると、国会政治というものが金と人を操縦する政治屋に仕切られてしまう現実が如実に見えてくる。

『砧をうつ女』

第66回芥川賞受賞作、李恢成『砧をうつ女』(文芸春秋 1972)を読む。
朝鮮人学校の問題を研究集録にまとめようと読み始めた本である。芥川賞を受賞した作品であるが、日本の小説にありがちな展開でつまらなかった。しかし、同作品に集録されていた『半チョッパリ』が面白かった。帰化に悩む大学生が主人公なのだが、日本人として学生運動に参加出来ず、かといって在日の祖国運動にも参加出来ず、ペーパー韓国人である「半チョッパリ」の位置の悪さに辟易している主人公悩みが吐露されていた。子どもが反対しているにも関わらず帰化しようとする父との対立は国家の分裂が家族の分裂に投影されてしまう現実を表していた。またラストシーンで主人公祖国ソウルに行くのだが、そこでは「倭奴」と捨て台詞を吐かれ排斥されてしまう。しかし主人公は最後自らの「半チョッパリ」という立場を肯定しようとする。

自分を愧じる気持にはげしく襲われていた。半チョッパリの誇りを取り戻さねばと考えた。いまはどのようにも振舞える自分を僕は確認しようと思うのだ。一台の自転車にプラスチック製の石油カンをつんで走り出すことも、この森のざわめきに身を投じることも、まったく自由であった。それは生と死を自分が支配している実感で僕は幸福にした。めくるめくような思いが躯を走っていた。
祖国よ、祖国よ! 統一祖国よ! 僕は心から叫んだ。いま僕は死ぬことも生きることもできた。そして、半チョッパリとして祖国にそのように叫びかけることも自由であるにちがいなかった。

久しぶりにどきどきする小説であった。日本と韓国の間で、市民と非市民との間で、社会人と大学生の間で揺れ動く主人公の自己肯定はどちらに属することでも、どちらを捨てることでもなかった。このような生き方が今の時代こそ求められている気がする。

『高円寺純情商店街』

第101回直木賞受賞作、ねじめ正一『高円寺純情商店街』(新潮文庫 1989)を読む。
1960年代頃のハートフルな人情あふれる商店街模様を描いた作品ということであったが、あまり面白くはなかった。商店街に暮らす人々のあり様を丹念に描いていたが、ドラマがあまりに淡々としていて、郊外住宅街育ちの私にはピンと来なかった。しかし1980年以降の街の風景を描こうとしたら、もっといびつなな世界を構成せざるをえないだろう。

『ハーバードで語られる世界戦略』

田中宇・大門小百合『ハーバードで語られる世界戦略』(光文社新書 2001)を読む。
田中氏と大門さん夫妻がジャーナリストのための研修プログラムでのハーバード大学に留学した10か月間の経験をまとめたものだ。ハーバード大を舞台にしたアメリカ政治の幕裏の様子が一学生の視点でもって丁寧に描かれていた。ジャパンタイムスの記者である大門さんに田中氏が随行したという形だ。田中氏の感想は以下のホームページにまとめられている。

田中宇の国際ニュース解説:「知のディズニーランド、ハーバード大学」

ケネディの出身校として有名な大学であり、名前はよく耳にするがこれまで気に留めてもいなかった。しかし実態が明らかになるにつれて、日本の大学の範疇には括ることのできない、完全な産学共同、官学共同の研究所という側面が見えてきた。とくに政治を専門とするケネディ研究所では、大統領のスピーチ内容やら、選挙活動マニュアルから世界戦略までを教授、学生ともに学んでいる。ちょうど日本でいうところの早慶の大学院と松下政経塾とシンクタンクと各種審議会を合わせたようなところだ。一枚岩のように見えるアメリカ政治も、ハーバード人脈の強い民主党とプリンストン人脈の共和党で色分けして、学閥の視点から見ていくととまた違った見方ができるのではないだろうか。

「出没!アド街ック天国」

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「出没!アド街ック天国」というテレビ東京の番組を観た。
今週は春日部の特集であった。普段の生活圏がテレビで紹介されるというのも不思議な感じがした。ロビンソン百貨店やら島忠、春日部温泉など普段利用している場所がベストテンに挙げられた。これらの場所を改めて画面を通して見ると、日常目にする景色とテレビで見る非日常の光景が脳裏にオーバーラップして、春日部を宣伝してくれて誇らしい気持ちと普段の生活が暴露されるような恥ずかしさを同時に感じた。ゲストで出演していた春日部出身のビビる大木の「まさか(春日部文化劇場が)テレビで紹介されるなんて思いもしませんでしたよ」といった発言が象徴的であった。