日別アーカイブ: 2024年11月24日

『ネアンデルタール人類のなぞ』

奈良貴史『ネアンデルタール人類のなぞ』(岩波ジュニア新書,2003)を読む。
ネアンデルタール人は、1856年にドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル渓谷で見つかった人骨の研究が契機となっている。「旧人」として知られ、氷期の3万5000年前に絶滅している。ヨーロッパ全域からカスピ海東部の中央アジアにかけての狭い地域のみに分布しており、アフリカからは化石が発掘されていない。

一般的に500万年前の猿人から100万年前の原人、そして50万年前の旧人から20万年前の新人へと一直線に進化したと教えられるが、実際は旧人類のネアンデルタール人と現生人類のホモ・サピエンスは全くの別種で、併存していたそうだ。骨格の研究から言語を話すことはできなかったようだが、著者は火の使用や埋葬の習慣などはあったと主張している。

「クルド人ヘイト問題を考える」

しばらく更新を休んでいたが、自分の研鑽のためにも新聞記事を紹介したい。
本日の東京新聞朝刊の埼玉版に、クルド人ヘイト問題に関する編集委員のコラムが掲載されていた。クルド人という外国人だから他人事のように捉える向きもあるが、少数派の人権侵害を許容する社会の雰囲気は、やがておおきなしっぺ返しを喰らうこととなる。

記事の最後にドイツで収容生活を強いられたニーメラー牧師の警句が紹介されている。
「クルド人ではないから」と、「当事者ではないから」と、目を背けることは、戦前のファシズムを招き入れることにつながる。

ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。