『夕刻のコペルニクス』

鈴木邦男『夕刻のコペルニクス』(扶桑社 1996)を読む。
わざわざ年末のゆったりとした時に読む類の本ではないが、『水滸伝』を読んで、正義や仁義のために命すら捨ててしまう「憂国の志士」の心情を知りたいと思い手に取ってみた。本書は『週間SPA!』で1994年の秋から1996年の秋まで連載されたコラムを再構成したものである。著者の鈴木氏は一水会という右翼団体の代表を務めながら予備校でも教鞭を執る文化人である。本書では、見沢知廉氏の逮捕や「赤報隊」事件、また雑民党東郷健襲撃事件の内情が詳らかにされ、右翼と新右翼の水面下での対立が暴露される。
鈴木氏というと、学生時代に高田馬場の駅前ロータリーで、一水会の車に据え付けられた拡声器を片手にアジっている姿を見たことがある。演説慣れした流暢な話し方で、様になっていたのを覚えている。また、その脇で大学の自治会の学生がシュプレヒコールを挙げていた。これまた予定調和的な場慣れした振舞いで様になっていたと記憶している。確か本書の連載時の96年頃だったか。
右翼や左翼という古いカテゴライズを捨て、右も左も越えて言論でもって政治や社会を動かしていこうとする鈴木氏のスタイルが随所にかいま見える。しかし、そうした彼の立ち位置は、左翼陣営からは批判され、既成右翼から「あいつは右翼じゃない」と批判され、さらに行動派右翼からは、日和っていると糾弾される。タイトルが「憂国」ではなく、すでに「夕刻」となっているように、冷戦崩壊後の新右翼や新左翼の拠って立つ位置の難しさが伺われる。

鈴木邦男公式サイト『鈴木邦男をぶっとばせ!』

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