『文学なんかこわくない』

高橋源一郎『文学なんかこわくない』(朝日文庫 2001)を読む。
競馬の予想屋という印象の強い著者であるが、本業の文学批評においては硬質な文章を展開する。
「小説は(文学は、広くは本は、といいかえてもかまわぬが)言語だけでできている、だから使用されている言語がダメなら、その小説はアウトなのである。このことに例外はない。さらにもう一つ、小説は最後まで最初の一頁と同じ物質でできている、ということである。このことにも例外はない。だから最初の一頁を読めばすべてわかるのである」の主張のもと、藤岡信勝の『教科書が教えない歴史』の序文や、渡辺淳一の『失楽園』、加藤典洋の『敗戦後論』などをテクストレベルで完膚無きまでに批判を加えている。

さらに、話は「政治と文学」論争に移り、高橋氏は、政治も文学も言葉でできている以上、結局は文学も政治も同じものだと述べる。つまり、言葉はそれぞれの言葉を作り出した人間の世界の中で丁寧に吟味され、矛盾のないよう選ばれるものであるため、それぞれの言葉を使う者は自分の正しさを疑わない。そのため、いつしか言葉が独り歩きを始め、「言葉が作り出した空間の中での正しさ」ではなく、単なる「正しさ」のみが表出してくる、それが言葉の持つ本質的な政治性である。言葉を扱う以上、「誤る」ことは必然であるのに、言葉の政治性は突き詰めていくと、「やつは敵だ。殺せ!」と自らの正当性の保証する最終手段へと一気に突き進んでいくしかないのである。
高橋氏は文学を次のように定義する。

文学とは結局のところ、その国語によって、その国語に拘束された空間を越えていこうという試みだからだ。文学だけがそれを可能にする。そして、その試みの中にしか、文学の根拠はないのである。

『司書・学芸員になるには』

ここしばらく多忙を極め、読書量も激減し、このHPの更新も滞っていた。まだ忙しい日々が続くが、最低限毎朝夕、新聞には目を通し、寸暇を惜しんでたくさんの本を読んでいきたい。まだまだ子どもから目が離せないので、趣味の映画観賞に浸る日は遥か先と予想される、映画もどんどん見たいものだ。

森智彦・深川雅文『司書・学芸員になるには』(ペリカン社 1999)を読む。
就職難の世相を鑑みてか、図書館司書や学芸員の創作的な仕事の魅力の紹介以上に、司書や学芸員の門戸の狭さを強調していた。確かに博物館学芸員一本で生活していくことは今日難しい。学芸員の項の著者のまとめの一言が印象に残った。

学芸員の職さがしは、根気のいることである。募集はたしかに多くはないものの、あるときはある。学芸員を目指す人に大切なことは、そうしたチャンスが巡ってきたときに、いつでも納得のいく勝負ができるように、日ごろから自分の知識と経験を磨いておくということである。そして、なによりも、自分が関心をもっているものごとへの愛情を忘れぬことである。「継続こそ力なり」という言葉は受験時代によくいわれることだが、学芸員の就職で大切なのは、あるものごとに対する継続する関心の強さと深さを支える一つの愛情であるということができるかもしれない。

「寓意の詩人としての陶淵明」

本日の午後、研修で埼玉県桶川市にあるさいたま文学館に出掛けた。
埼玉県高等学校国語科教育研究会の総会と陶淵明に関する講演を聴いた後、一人でぶらりと地下にある文学館の展示を見て回った。埼玉出身の文学者の紹介のパネルや遺品が展示されていた。埼玉出身の作家というふれこみで、田山花袋の「田舎教師」やら中島敦に関する展示が何点かあったが、彼らとて埼玉生まれではなく、埼玉にちなんだ作品がほんの数点あるだけである。つくづく埼玉は文学不毛の地だと感じた。
また、秩父の文学についての企画展示があったが、秩父にゆかりの深い作家として宮沢賢治(?)や斎藤茂吉(!)が紹介されていた。宮沢賢治に至っては秩父に旅行に来たことがあるだけなのに。。。あまりのこじつけのひどさに驚きを通り越してあきれてしまった。

講演会メモ
「寓意の詩人としての陶淵明」

文教大学日本文学科 沢口勝

陶淵明
東晋の詩人。田園を愛し、酒を友とする生活を送り、飾らぬ表現の中に深い思想のこもった詩を残した。代表作「飲酒」「桃花源記」「五柳先生伝」「帰去来辞」「田園将に蕪れんとす、胡ぞ帰らざる」
桃花源記
武陵の漁夫が道に迷って、桃林の奥にある村里に入り込む。そこは秦の乱を避けた者の子孫が世の変遷を知ることなく、平和で裕福な生活を楽しんでいる仙境であった。歓待されて帰り、また尋ねようとしたが、見つからなかったという内容。
「隠者文学」
俗世界から離れ、世捨人の生活を送る隠遁者によって書かれた文学。

日本では、西行、鴨長明、兼行法師などが代表とされる。

陶淵明~積極的に田園を目指す
鴨長明~消極的な引きこもり的生活

『朝鮮総連』

金賛汀『朝鮮総連』(新潮新書 2004)を読む。
先日総連民団の歴史的和解の文字が新聞紙上を踊った。総連に批判的な作家による著書であるが、民団と合併しなくてはどうにも立ち行かなくなった総連の実態がかいま見えてきた。総連は、戦後数年、日本共産党と共同路線を歩んでいたが、徐々に金日成の主体思想という民族主義的傾向を強め、日共との関係も疎遠なものになっていった。そして、日本国内では左翼勢力の仮面を被りながら、陰ではパチンコ産業諸々に手を染めた揚げ句、大きな失敗を招き、同胞のビジネスの絆すらずたずたにしてきた。
日本国内での共生を指向する中で、朝鮮半島の統一に向けての行動が期待される。