大道珠貴『しょっぱいドライブ』(文藝春秋 2003)を読む。
数年前に芥川賞を受賞した作品で、30代女性を主人公とした短編集である。各編とも、老人とデートしたり、男友達と寝ても、これまで積み上げてきた人生のレールが崩されるなんてことはなく、淡々と気だるい生活が続いていくリアルな日常が描かれる。
女性同士の親密かつ疎遠な友情も取り上げられ、大人の女性が読む日常生活を題材にした漫画を読んでいるような気分になる。当然のことながら、男性が読んでも恐らくはその面白さを理解できないであろう。
『理想の児童図書館を求めて』
桂宥子『理想の児童図書館を求めて:トロントの「少年少女の家」』(中公新書 1997)を読む。
30年近く前の、多分に脚色されたであろう学生時代の留学経験が話の大半を占め、カナダの児童図書館は予算や人的配置など充実している一方で、日本の図書館の貧困さを嘆くという極々つまらないエッセーである。児童にとっての読書の意義や効果に関する分析も甘く、図書館の未来像も描けていない。
ファンタジーは、大人の難解な言葉を使わずして、人生の根本問題を子どもたちに理解させることができる、児童文学特有のジャンルなのである。例えば、フィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』は、時間の概念を、また、ジョージ・マクドナルドの『北風のうしろの国』では、死をテーマとしている。ファンタジー作家は、現実世界では、言葉の制約上、子どもたちを対象としてあつかえない抽象的または複雑なテーマを、自らが創造した物語世界の中で、子どもたちに垣間見せることができるのである。一級のファンタジー作品であればあるほど、単なる娯楽にとどまらず、生と死、善悪、友情、正義などの永遠の真実をうちに秘めている。
『空中ブランコ』
2004年に直木賞を受賞した、奥田英朗『空中ブランコ』(文藝春秋 2004)を読む。
仕事も家庭も円満で、順調に人生を歩んできた30代半ばになんなんとするサーカス団員やプロ野球選手、医師、ヤクザ、女流作家といった登場人物らが、ふとそれぞれの今現在の流れ作業的な仕事のあり方に疑問を抱いてしまうところから話は始まる。ストライクが入らない、空中ブランコで失敗する、ヤクザ稼業をやっているのに刀が怖い、ワンパターンな恋愛、不倫しか書けない……。しかし、これまで10年近く積み上げきたキャリアに対する自信からか、いくら周囲の者が指摘しても、彼らは決して自分の不備を認めようとしない。そして、周りからの信頼に応え切れない自分が嫌で彼らは嘔吐を繰り返したり、フロイトの言う反動形成や合理化などの行動に出てしまう。そのような中で、純真無垢な精神科医伊良部一郎と出会うことで、彼らは自分を取り戻す。
私自身も、今年で教員生活8年目を迎え、これまで通りの授業の進め方に一定の自信は持っている。しかし、それがために、心の片隅で自分の授業スタイルを受け入れてくれない生徒層の受け入れを拒むような防衛機制が働いてしまうことがある。精神科医伊良部氏はこれまでの自分のやり方をきっぱりと否定することで問題は解決すると述べ、自身がサーカスに挑戦したり、小説を書いたりして、新しい視点で仕事を捉え直すことを提案する。しかし、たかだか10年近い積み上げであるが、それを自分で崩していくのは大変なことである。
30代半ばの働く人に読んでほしい本である。
『英語は絶対勉強するな!②』
鄭讃容『英語は絶対勉強するな!②』(サンマーク出版 2001)を読む。
英語を日本語に翻訳する技術だけを高めようとする受験英語では決して英語のコミュニケーション能力は身に付かないと著者は断じる。そして、とにかく子どもが言葉を学ぶように、ひたすら英語の「音」だけを徹底して聞きつづけることから始めよと教授する。そして次に、聞こえた通りにすべてを書き取り、そしてそれを「台本」にして最初から最後まで真似しながら音読するせよと述べる。まず聞いて話す練習を繰り返すことで、英語に慣れる土台を作る。そして、今度は分からない単語を英英辞典で引き、そこに記されている解説や例文をノートに書き写すことで、英語の意味を「英語のまま理解する」力を涵養し、英語で良く使われる文章表現パターンや生きた文法を自然に身に付けることができると説く。
英語をひたすら聞くことや、英英辞典を引くなどは昔からあったやり方である。しかし、自分が聞いた通りに書き取り、それをテープの話し方や発音を真似ながら英語を身に付けていくというやり方は、考えてみれば新しい学習法である。ただ正しい答えや発音を真似るのではなく、自分のリスニングやボキャブラリーをスピーキングを通して修正していくという手法は時間はかかるが、確実に英語をものにできる学習法であろう。
Google earth
インターネット検索サイトのGoogleが作ったGoogle earthというソフトをダウンロードして使ってみた。屋根の形や車の車種まで分かる精密な衛星画像を自由に拡大したり視点を変えたりでき、さながらSF映画に出てくるコンピュータをいじっているような気分であった。初めてインターネットを触ったような新鮮な驚きがあった。海外の都市やら人も踏み入らないような森林の画像を眺めていると、何か自分の中の世界観が大きく崩れていくような不思議な感覚に包まれた。
