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「入管法改正案 永住取り消し規定」

本日の東京新聞朝刊に、台湾出身の芥川賞作家の李琴峰さんのインタビュー記事が掲載されていた。一昨日の衆院法務委員会で、永住資格を取得した外国籍の方でも税金や社会保険料を払わないと、永住許可の取り消しを可能とする改正案が可決された。おそらくは、日本に来て政治や宗教、言語など何らかの理由によって、日常の生活を送っていない一部の外国籍の人を強制送還する仕組みを作りたいのであろう。記事の中で李さんが指摘するように、すでに税金や社会保険料を納めない人を罰する法律がある。そうした当然行われるべき自治体の業務を飛び越えて、政府が強権的態度をちらつかせるというのは、およそ真っ当な法治国家ではない。

遅刻が多いとか、試験の点数が取れないとか、暴言を口にしてしまった生徒に対しては、それぞれの担当の先生が日常生活指導や特別補習、場合によっては謹慎指導などを行うのが筋である。学校はある程度の失敗が許容される場所である。そうした改善なり指導なりの前に退学をチラつかせられては、落ち着いて学校生活を送ることはできない。

同じように、永住権剥奪という錦の御旗を出されては、ますます日本で働く外国人が減ってしまう。労働力の不足に悩む日本だからこそ、社会全体を見通す力が大切である。

『温暖化する地球』

田中正之『温暖化する地球』(読売新聞社,1989)をパラパラと読む。
必要なところを抜書きしておきたい。

46億年の地球の歴史のうちでも、およそ6500万年前から今日に至るまでの時代は、新生代と呼ばれています。その前半はヒマラヤやアルプスの造山活動が活発に行われた時代でした。そして、新生代も末期の、今からおよそ200万年ほど前になると、しだいに氷期と間氷期が交互に訪れるようになります。
人類が地球上に生まれたのは、今からおよそ300万年ほど前のことだっといわれていますから、人類の黎明期は、氷期と間氷期のサイクル(およそ10万年ごと)が始まった時期、すなわち氷河時代の始まりと前後していることになります。

(中略)(氷期の最も寒冷だったときと間氷期や後氷期の最も温暖だったとき)の差は、地球の平均気温に換算すれば、約5℃の違いと見積もられています。ほんのわずかな温度差のように感じるかもしれません。実は、氷期といっても、大きく寒冷化するのは主に中緯度や高緯度の地帯であり、赤道近くでは、氷期でも間氷期とほとんど気温の差がありません。そのため、、全地球の平均気温で比較した場合には、氷期と間氷期の違いは、5℃程度にしかならないわけです。

もっとも寒かった時期は、今からおよそ1万8000年前にあたります。(中略)北米大陸の北半分は、完全に氷床に覆われています。グリーンランドはもちろんのこと、ユーラシア大陸でも、スカンジナビア半島からタイミル半島にかけて広大な氷床がつづいています。堆積した氷の量はとほうもないものでした。氷の厚さは1000メートルを超え、中央部では、3000メートルに達していました。そのため、海面は現在よりも100メートルも低下していました。海水100メートル分の水が、氷床として、北米大陸やグリーンランドに堆積していたわけです。

ところが今から1万年ほど前になると、これらの氷は急速に解けはじめます。(中略)氷床の重みで沈んでいたスカンジナビア半島は、その重しがとれたために、その後だんだん浮上してきます。中心部はすでに300メートルほど隆起し、現在でも毎年数ミリメートルの速さで隆起しつづけています。

今から4500年前から7000年ほど前、ヒプシサーマル(温暖期)と呼ばれている時代がありました。これは、ここ1万年ぐらい続いている後氷期の中で、最も気温が高かった時代です。日本では縄文時代の前期にあたります。
この温暖期には、現在とくらべて地球の平均気温が0.5度ないし1度程度高かったことが知られています。たかだか1度程度の違いにすぎませんが、その時期には、世界各地の気候の様子が今とはかなり違っていたことが、花粉の分析などから明らかにされています。
たとえば、アフリカのサハラ砂漠は、現在ではほとんど雨の降らない不毛な土地ですが、当時はもっと湿っていて、豊かな草原があり、樹木も生え、大型の野生動物も棲息していたことが推定されています。このことは、サハラ砂漠の中に残っている先住民の遺跡などからも確かめられています。その状態は「緑のサハラ」と呼ばれています。
また、北半球の中緯度地帯の多くは、今よりももっと乾燥していたことも知られています。

 

『本能のなぞ』

大村裕『本能のなぞ:脳の働きはここまでわかった』(読売新聞社,1987)をパラパラと読む。
高校生の生物選択者向けの本のような内容で、平易な語り口であるが、専門用語が続く。生物学が苦手な私にとっては辛い一冊であった。

「川口市 外国籍の子ども増加」

本日の東京新聞朝刊の埼玉版に、川口市で外国籍の子どもが増えており、現在は川口市の予算で日本語教育を行なっているが、国が責任を持って財源を確保するように、奥ノ木信夫川口市長が要望書を提出したとの記事が掲載されていた。

記事によると、川口市の小中学校に通う外国籍の児童生徒3134人のうち、半数にあたる1538人が日本語のサポートが必要な状態だという。中国籍の児童生徒が多いが、トルコ系のクルド人も1割程度に増加しているとのこと。

奥ノ木市長は財政負担に触れ「国が外国人の入国を認めている以上、国が責任を取って全額支援してほしい」と強調。さらに「在留資格がなくても働いて税金を払いたい、健康保険に入りたいという人もいるが、現行制度では難しい。国でしっかりした制度をつくってもらいたい」とも述べている。至極まっとうな要望である。応援したい。

「南海トラフ震源域 終わらぬ審査」

本日の東京新聞朝刊に、東日本大震災後に全面停止した静岡県御前崎市の浜岡原発が全停止して13年目を迎えるとの記事が掲載されていた。中部電力は早期の再稼働に向けて動き出しているとのことだが、いったい東日本大震災から何を学んでいるのか。学ぶべきは自然の脅威と、自然に対し驕り高ぶることなく、真摯に畏れる気持ちである。

ちなみに、気象庁のHPに掲載されている「南海トラフ地震で想定される震度」を引用しておきたい。浜岡原発の場所も図示しておいた。「世界で一番厳しい場所にある」との声もあるほど、大震災、大津波が直撃する場所にある。再稼働の審査そのものが非現実的な内容であることは言うまでもないであろう。