内田康夫『はちまん』(文春文庫 2009)を読む。
上下巻でかなりの分量だった。内田康夫氏の持論でもある、右翼や左翼の相剋を超えて、戦前の歴史を一括して否定(肯定)する幼稚な歴史観への疑問が強く打ち出されている。最後に犯人グループが雷に打たれて天罰を受けるなど、ストーリーとしてはやや破綻している。ただ、久しぶりの浅見光彦シリーズで旅上ミステリー色満載だったので、最後まで飽きなかった。
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本日整備した自転車
「タリバン 首都に検問所 ニカブの女性増」
本日の東京新聞朝刊にアフガニスタンのタリバンが政権樹立に向けて着々と準備を進めているとの報道があった。記事によると、街には目以外の全身を黒い布で覆う「ニカブ」を着た女性が目立つようになったとのこと。
イスラム教の聖典コーランの中で「両手と顔以外の美しい部分を隠せ」という決まりがある。髪や美しい肌によって男性を誘惑するのを禁じるためとも、女性を守るためとも言われているが、いずれにせよ女性の行動を制限する機能を有している。“いらすとや”の画像で紹介したい。
ニカブやブルカを着用した国のイスラムの女性は、結婚に至るまでに自分の顔やスタイルを晒すことがない。日本でも平安期の貴族の女性はずっと部屋にいて、障子や御簾、几帳などによって、外部から自分の姿が見られないようにした。そして垣間見を試みる貴族男性に、シルエット越しに長い髪を見せたり、美しい琴の音や和歌によって魅力をアピールしたりしていた。
室町時代に能楽を大成した世阿弥の『風姿花伝』(紅茶花伝じゃないよ!)に、「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」という言葉があります。平安期の女性は自身の容姿に依らず、その美を上手く包み、奥ゆかしさを巧みに演出することで、女性としての輝きを得ていました。
平安期貴族文化とイスラム教には”ルイジ”点がありますね。イスラム教の男性が髭を生やすだけに。
「ハイチ地震1週間 政情不安、混乱に拍車」
本日の東京新聞夕刊に、ハイチ地震に関する追加報道が掲載されていた。すでに2100人強の死者が確認されているハイチだが、政府が機能せず混乱が続いているという。外務省の基礎データによると、ハイチの経済概況について以下のようにまとめられている。
- ハイチ経済は1970年代まで、農業依存型の脆弱な産業構造であった。
1980年代以降、軽工業は一部発展を遂げたものの、国内の政情不安と1991年の軍事クーデターを契機とした国際社会による経済制裁が経済発展を妨げる要因となり、1994年には、国民経済は首都に人口が集中し、失業者があふれ、困窮状態に陥った。
民主主義の回復と共に国際社会からの援助が再開されたが、その後も、ハイチの政情不安や自然災害の発生等により、ハイチの経済社会状況は、厳しい状況が続いている。 - 2008年9月、同国付近を連続通過したハリケーンにより、死者約800名を含む被災者が約80万人にのぼったほか、同国GDPの約15%に相当する損失を被った。
- 2010年1月、耐震性のないコンクリート造りの家屋に集住する首都近郊で、大規模な地震が発生し、死者約31万人を含め被災者は約370万人(ハイチ政府発表)にのぼり、同国GDPの約120%に相当する約78億ドルの損失を被った。
- 2016年10月、ハリケーン・マシューにより、ハイチ経済は打撃を受け、GDPの約5分の1に相当する約20億ドルの損失を被った。農業セクターにおいては5億8千万ドル相当の被害を受け、同国の収穫物の90%が被害を受けた。
- ハイチ経済は成長に向けての潜在力がありながらも、災害、政情不安、開発援助への過度な依存、脆弱な産業構造といった要因によって発展を阻まれている。
外務省の公式な見解なのだが、救いようのない書きっぷりとなっている。ハイチの抱える闇の深さが伺われる。こうした国をどのように再建できるのか、そうした探求的な授業の実践方法をこれから模索してみたい。
「ミャンマー選手難民認定 2ヶ月で告知」
本日の東京新聞朝刊に、ミャンマー国軍に抗議の意を示し、帰国を拒否したミャンマー選手に対し、日本政府がすみやかな難民認定手続きをとったとの報道があった。
日本も批准した難民条約の第1条で、難民は「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されている。
記事の中で、「難民認定は日本が民主化運動を認めた意味になる」とのコメントがあったが、それは違うと思う。難民認定が当該国に対する政治的見解を示すものであるならば、難民の認定そのもののハードルが上がってしまう。今回の件とは逆のケースで、ミャンマーの民主化運動に抗議の意を示し国にいられなくなった軍人がいれば、同じように難民として認定すべきなのである。