日別アーカイブ: 2021年8月21日

「ハイチ地震1週間 政情不安、混乱に拍車」

本日の東京新聞夕刊に、ハイチ地震に関する追加報道が掲載されていた。すでに2100人強の死者が確認されているハイチだが、政府が機能せず混乱が続いているという。外務省の基礎データによると、ハイチの経済概況について以下のようにまとめられている。

  1. ハイチ経済は1970年代まで、農業依存型の脆弱な産業構造であった。
    1980年代以降、軽工業は一部発展を遂げたものの、国内の政情不安と1991年の軍事クーデターを契機とした国際社会による経済制裁が経済発展を妨げる要因となり、1994年には、国民経済は首都に人口が集中し、失業者があふれ、困窮状態に陥った。
    民主主義の回復と共に国際社会からの援助が再開されたが、その後も、ハイチの政情不安や自然災害の発生等により、ハイチの経済社会状況は、厳しい状況が続いている。
  2. 2008年9月、同国付近を連続通過したハリケーンにより、死者約800名を含む被災者が約80万人にのぼったほか、同国GDPの約15%に相当する損失を被った。
  3. 2010年1月、耐震性のないコンクリート造りの家屋に集住する首都近郊で、大規模な地震が発生し、死者約31万人を含め被災者は約370万人(ハイチ政府発表)にのぼり、同国GDPの約120%に相当する約78億ドルの損失を被った。
  4. 2016年10月、ハリケーン・マシューにより、ハイチ経済は打撃を受け、GDPの約5分の1に相当する約20億ドルの損失を被った。農業セクターにおいては5億8千万ドル相当の被害を受け、同国の収穫物の90%が被害を受けた。
  5. ハイチ経済は成長に向けての潜在力がありながらも、災害、政情不安、開発援助への過度な依存、脆弱な産業構造といった要因によって発展を阻まれている。

外務省の公式な見解なのだが、救いようのない書きっぷりとなっている。ハイチの抱える闇の深さが伺われる。こうした国をどのように再建できるのか、そうした探求的な授業の実践方法をこれから模索してみたい。

「ミャンマー選手難民認定 2ヶ月で告知」

本日の東京新聞朝刊に、ミャンマー国軍に抗議の意を示し、帰国を拒否したミャンマー選手に対し、日本政府がすみやかな難民認定手続きをとったとの報道があった。

日本も批准した難民条約の第1条で、難民は「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されている。

記事の中で、「難民認定は日本が民主化運動を認めた意味になる」とのコメントがあったが、それは違うと思う。難民認定が当該国に対する政治的見解を示すものであるならば、難民の認定そのもののハードルが上がってしまう。今回の件とは逆のケースで、ミャンマーの民主化運動に抗議の意を示し国にいられなくなった軍人がいれば、同じように難民として認定すべきなのである。

『天皇制と共和制の狭間で』

堀内哲編『天皇制と共和制の狭間で:30代〜90代の日本のエンペラー論』(第三書館 2018)をパラパラと読む。
日本共和主義研究者の堀内氏は担当の「原発と米軍基地がなくなる『共和制日本』へ。」の項の中で、現行の立憲君主制から大統領制への移行を提案している。堀内氏は自由党(当時)や都立大学の木村草太教授の見解を参考に、生前退位は天皇個人の政治行為であり違憲だとする。さらに、皇室典範そのものが天皇の一個人としての人格を否定しているものとし、天皇制自体を維持すべきでないと述べる。そして、国民統合の象徴である現行天皇制を廃し、国民の意志が反映しやすい直接民主制の大統領制度にすべきだと主張する。

法律論的には色々な見解があるのだろうが、一般に王室(皇室)を持っている国は、国家元首(国家大権)としての機能を王室が代替するため、大統領制は馴染まないという。王室を有するイギリス連邦各国やスペイン、オランダ、タイも議院内閣制をとっている。

堀内氏は、米軍基地にノーを突きつけたフィリピンのドゥテルテ大統領を引き合いに、日本も原発や米軍基地問題などにはっきりと国民の意思を示すことのできる大統領制の実現と、それに伴う天皇制の廃絶を提言する。そのためには、「9条改憲に反対しながら『共和制移行』を模索する高度な政治」が必要だと述べる。

議員内閣制は間接民主制であり、民意を反映しにくいという意見には承服しかねるが、堀内氏のストレートな論の進め方には好感が持てる。他にも反天皇制連絡協議会の天野恵一氏や元日本赤軍リーダーの重信房子さんも寄稿されている。これからも息の長い運動であることは相違ない。