今週から東京新聞夕刊の文化欄に、「知でつながる:それぞれの場」と題して、日本各地に広がりを見せつつある私塾や哲学カフェ、読書会などの語り合いの場が特集されている。
一昨日は福島大教授の小野原雅夫さんが世話人を務める「てつがくカフェ@ふくしま」、昨日は武道家・思想家の内田樹さんが主催する「凱風館寺子屋ゼミ」が紹介されていた。そして本日は東浩紀さんが代表の株式会社「ゲンロン」が運営する「ゲンロンカフェ」の模様が紹介されている。
「てつがくカフェ@ふくしま」の世話人小野原さんは、哲学カフェの意義について次のように語る。
一人一人が自分で考え、話合ってものごとを決めていく力が失われている。民主主義は愚かな選択に陥りやすい性質もある。特に原発事故以後、ひどくなっていると感じます。事故が終わっていないことすら忘れ去られている。専門家ではない人たちが、それぞれの体験に基づいて議論しあうことがまずは必要だと思う。
また、「凱風館寺子屋ゼミ」の内田樹さんは、ゼミの目的について次のように語る。「知の解体」というフレーズは印象に残る。
ゼミ生が感性的、知性的に成熟する「市民的成熟」を支援して、日本の未来を支えてもらうことです。こうした小さいサイズの私塾は最近、私の知人の間で燎原の火のごとく広がっています。ほとんど大学関係者です。大学が機能していないからです。
高等教育の基本は自分自身の知的枠組みの閉鎖性を自覚し、それを解体して再構築する作業です。だが、今の大学は、グローバル企業の収益を高める人材を育成する専門学校化している。こんなことをしていたら国が滅びる、という危機感がわれわれを動かしている。
そして、本日取り上げられていた東浩紀さんは、ゲンロンカフェの運営について次のように語る。語りの質を保障する「時間」「空間」に着目している。
言論、つまり人が物を考えてしゃべることの魅力を突き詰めていきたい。この2年間で百回以上のイベントに出ましたが、対談というのは1時間半くらいして、相手が心を開き始めてようやく面白くなる。そこで「定刻です」と打ち切っては何も始まらない。時間や制約を気にせず柔軟に運営するには、空間そのものを作るしかない。しらふの人間が2時間しゃべるだけでは、自分の立場が有利になるような発言しかしないんです。突き崩すのはすごく大変で、コストがかかる。でも、それをおろそかにしてきたから今の論壇はつまらなくなり、日本人は物を考えなくなったんだと思います。
Link
□ てつがくカフェ@ふくしま
□ 凱風館寺子屋ゼミ
□ ゲンロンカフェ