月別アーカイブ: 2013年12月

特定秘密保護法成立に関する声明

メーリングリストより

特定秘密保護法成立に関する声明

12月6日、自民、公明両党は、国民の多くの反対にもかかわらず、これまでに例を見ない非民主的・暴力的な国会運営で、特定秘密保護法を強行採決し、強引に成立させました。まさに、歴史を汚す暴挙としかいいようがありません。
安倍政権は、現行法では国の安全に関わる秘密の漏洩を防ぐ管理体制が不十分として、秘密保全体制をつくるとしていますが、根底には、政府が国民に知 られたくない情報の公開を制限し、操作しようとする意図が明白です。これは、国民の知る権利を制限し、国家に都合の悪い情報をコントロールする民主主義とは相容れないものです。
この法によって政府がつくり出そうとする状況は、現在の教育における情報統制をより一層進行させるものに他なりません。すなわち、子どもたちが学校 教育の中で使用する教科書について、政府の都合のよい情報を取り入れ、それに反する情報を極力排除しようとする政府の意図は明白です。
また、安倍政権が行った数の力による議会運営は、一人ひとりの意見の違いを尊重し、より納得できる結論を導く民主主義の手法とは相容れないものです。
私たちは安倍政権が目論む、国民の自由を奪い、憲法を変え、アメリカと共に戦争のできる国に変質させようとする策動を許すわけにはいきません。今日を新たな出発点とし、特定秘密保護法の廃止を求め、自由と民主主義を取り戻す新たなたたかいをつくりあげていきます。
私たちは、安倍政権の暴挙に強く抗議するとともに、「教え子を再び戦場に 送らない!」の決意のもと、今後、特定秘密保護法の廃止を求め、とりくみを 継続していく決意をここに表明するものです。

2013年12月7日

埼玉教職員組合 中央執行委員長 金子 彰

埼玉高等学校教職員組合 中央執行委員長 立野隆一

 pdfファイルはこちら → 12.7秘密保護法抗議声明

『哲学のすすめ』

岩崎武雄『哲学のすすめ』(講談社現代新書 1966)を半分ほど読む。
平明な文章で説明する「哲学入門書」という宣伝であるが、頭の中にすーっと文章が入って来ず、途中で諦めてしまった。私の思考力が追いつかなかった。
前半部では物事の原理的な価値判断は哲学が担い、具体的な価値判断は科学が担うということが述べられていた。科学と哲学は言わば建築物であり、哲学という原理を判断する土台部分と、科学という事例の積み上げによってもたらされる見地の上物部分のバランスによってなりたっているものである。哲学が科学を冒してはいけないし、また科学が哲学を冒してもいけない。その両者の見極めが大切だと述べる。
また、得てして若い人は原理的な価値判断や高い目標にのみ捉われ、現実的な事実に基づいた判断を疎かにしがちであり、また高齢の人は現実の状況のみ顧慮しがちで、結局何の理想もなしに現実に順応する態度になりがちであるという指摘は興味深かった。

大学案内研究:日本大学

2014

日本大学の大学総合パンフレット(2014年度版)を読む。
日本大学の全14学部84学科・22研究科・短期大学部6学科・通信教育部の全てを網羅したパンフレットとなっている。およそ受験生が手に取るパンフレットというよりは、日本大学の全体像を紹介する理事会の事業案内のような体裁である。このパンフレットをじっくり読む人は、よほどの日大マニアであろう。
獣医から哲学、日本舞踊、海洋生物、航空宇宙までおよそ思いつく限りの全ての学部学科が揃っていると言っても過言ではない。また、「数字で見る『日本大学のここがNo.1』」というページには、学生数68,675名、女子学生数20,197名、大学図書館蔵書数5,732,594冊、インターンシップ参加学生数2,347名、就職支援部門の職員数76名、校舎面積995,812㎡、卒業生総数1,079,563名、出身大学別社長数23,402名など、これでもかと赤ゴシック文字でデカデカと宣伝されている。

1989年に創立された日本法律学校を前身とし、1901年高等師範科(現・文理学部)、1904年に商科(現・経済学部並びに商学部)、1920年に高等工学校(現・理工学部)、1921年に美学科(現・芸術学部)、東洋歯科医学専門学校(現・歯学部)を合併、1925年に専門部医学科(現・医学部)、1943年に農学部(現・生物資源科学部)が設置され、戦前の段階でほぼ現在の学部の陣容が揃っている。戦後になってから、1947年に専門部工科(現・工学部)を福島県郡山市に移転、1948年に通信教育部、1950年に短期大学部、1952年に薬学部と工業経営学科(現・生産工学部)、1971年に松戸歯科大学(現・松戸歯学部)、そして1978年に国際関係学部を静岡県三島市に開設している。
数多くの学部学科があるが、都心部の学部は戦前から伝統あるものであり、戦後千葉や静岡に学部を多数開設しているが、それも1978年を最後に新しい学部は設置されていない。
この点が80年代後半のバブル期を中心にいたずらに学部学科を濫造してきた他大との違いであろう。25校もの付属中学高校を経営する理事会である。偏差値50ちょいの中堅校という位置を変わらずに維持し続け、難関校受験者の滑り止めとして、勉強が進まない受験生の志望校として、しっかりと受験生を集めている。日東駒専と受験界では一括りにされるが、その4校の中でトップに居続けるのは並大抵の経営努力ではないであろう。

改めて、学校法人「日本大学」のデカさを知ることとなった。

大学案内研究:関東学院大学

関東学院大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
パンフレットによると、1884年アメリカ北部パブテスト神学校の宣教師によって設立された横浜パブテスト神学校を源流とする。その後1895年に、キリスト教の伝道に必要な学力と教養を身につけることを目的とした東京中学院、1919年に中学関東学院がと名称を変え、1949年に新制大学に移行している。1928年には東京帝大に次いで2番目の社会福祉活動「セツルメント」が始まっている。現在でもこうしたキリスト教精神に基づく奉仕を校訓に据えている。
戦後、経済学と工学部の2学部で始まり、1959年神学部、1968年文学部、1991年法学部、2002年人間環境学部、2013年工学部を改組して、理工学部と建築・環境学部が置かれ、さらに看護学部が開設されている。ただし神学部はwikipediaによると学生紛争の影響で廃止されたとのこと。現在は横浜市金沢区六浦キャンパスを中心に、7学部12学科11コースからなる総合大学となっている。このうち法学部のみ小田原から徒歩20分弱の場所にキャンパスが置かれ、サークル活動もグランドもなく本部から隔離されたような形になっている。事実志願者も定員割れが起きている。一方、実学志向の流れで、管理栄養士を目指す健康栄養学科や、幼稚園教諭・保育士を目指す人間発達学科、建築環境学科、看護学科は4倍を越える志願者を集めている。

理工学部などは各コース1ページだけの簡単な紹介しかないが、学部それぞれのパンフレットが別に用意されている。サークルや部活動も同様に別に案内が用意されており、宣伝には力を入れている。

大学のホームページを見ると、小田原市と2017年度4月より法学部を本部の金沢八景キャンパスに移転する協議を始めたようである。東京理科大学や立正大学など、最近郊外に設けられたキャンパスを都心に合併させる大学が増えている。大学としては賢明な判断であろうが、地元の自治体からすれば開設に当たって便宜を図ったのに、大学が移転してしまっては、無駄な敷地と建物だけが残され、その管理維持のための余計な予算措置が強いられる。大学側は小田原市との関係の継続を謳うが、学園全体が横浜市金沢区と横須賀に集中しているので、口先だけの約束で終わるであろう。

大学のホームページより

【キャンパス変更の理由】
法学部の修学キャンパスを金沢八景キャンパスへ変更するのは、外部環境(大学間の競争の激化、都内大学のキャンパスの集約化の進行、少子化による志願者の減少)に対応しつつ、総合大学のメリットを活かした教育の展開、きめ細やかな学生支援の充実、施設設備の有効活用を行うためのものです。この2年間、残念ながら法学部は定員を確保することができなかったこともあり、今後の法学部の教育を強化するためには本学の人的・物的資源の有効活用が不可欠であり、本学のメインキャンパスである金沢八景キャンパスに修学場所を変更せざるを得ないと判断したしだいです。
【今後の小田原キャンパスについて】
上記のことからご理解いただけるように、法学部の修学キャンパス変更は関東学院大学のさらなる発展に不可避のことと考えています。しかし、このことは関東学院が小田原の地から立ち去ることをただちに意味するものではありません。
1991年に小田原キャンパスを開設して以来、関東学院は22年にわたって小田原市との公私協力体制を維持して参りました。小田原キャンパスで働いてきた教員・職員の多くは、小田原に大きな愛着を抱いています。また、法学部の教員は小田原市を含む近隣の市町村の各種委員として、また公開講座などの講師として地域貢献をさせていただきました。このような互恵主義の精神は今後も変わることはありません。小田原キャンパスの今後の利用については小田原市と誠意をもって協議を進めていきます。