関東学院大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
パンフレットによると、1884年アメリカ北部パブテスト神学校の宣教師によって設立された横浜パブテスト神学校を源流とする。その後1895年に、キリスト教の伝道に必要な学力と教養を身につけることを目的とした東京中学院、1919年に中学関東学院がと名称を変え、1949年に新制大学に移行している。1928年には東京帝大に次いで2番目の社会福祉活動「セツルメント」が始まっている。現在でもこうしたキリスト教精神に基づく奉仕を校訓に据えている。
戦後、経済学と工学部の2学部で始まり、1959年神学部、1968年文学部、1991年法学部、2002年人間環境学部、2013年工学部を改組して、理工学部と建築・環境学部が置かれ、さらに看護学部が開設されている。ただし神学部はwikipediaによると学生紛争の影響で廃止されたとのこと。現在は横浜市金沢区六浦キャンパスを中心に、7学部12学科11コースからなる総合大学となっている。このうち法学部のみ小田原から徒歩20分弱の場所にキャンパスが置かれ、サークル活動もグランドもなく本部から隔離されたような形になっている。事実志願者も定員割れが起きている。一方、実学志向の流れで、管理栄養士を目指す健康栄養学科や、幼稚園教諭・保育士を目指す人間発達学科、建築環境学科、看護学科は4倍を越える志願者を集めている。
理工学部などは各コース1ページだけの簡単な紹介しかないが、学部それぞれのパンフレットが別に用意されている。サークルや部活動も同様に別に案内が用意されており、宣伝には力を入れている。
大学のホームページを見ると、小田原市と2017年度4月より法学部を本部の金沢八景キャンパスに移転する協議を始めたようである。東京理科大学や立正大学など、最近郊外に設けられたキャンパスを都心に合併させる大学が増えている。大学としては賢明な判断であろうが、地元の自治体からすれば開設に当たって便宜を図ったのに、大学が移転してしまっては、無駄な敷地と建物だけが残され、その管理維持のための余計な予算措置が強いられる。大学側は小田原市との関係の継続を謳うが、学園全体が横浜市金沢区と横須賀に集中しているので、口先だけの約束で終わるであろう。
大学のホームページより
【キャンパス変更の理由】
法学部の修学キャンパスを金沢八景キャンパスへ変更するのは、外部環境(大学間の競争の激化、都内大学のキャンパスの集約化の進行、少子化による志願者の減少)に対応しつつ、総合大学のメリットを活かした教育の展開、きめ細やかな学生支援の充実、施設設備の有効活用を行うためのものです。この2年間、残念ながら法学部は定員を確保することができなかったこともあり、今後の法学部の教育を強化するためには本学の人的・物的資源の有効活用が不可欠であり、本学のメインキャンパスである金沢八景キャンパスに修学場所を変更せざるを得ないと判断したしだいです。
【今後の小田原キャンパスについて】
上記のことからご理解いただけるように、法学部の修学キャンパス変更は関東学院大学のさらなる発展に不可避のことと考えています。しかし、このことは関東学院が小田原の地から立ち去ることをただちに意味するものではありません。
1991年に小田原キャンパスを開設して以来、関東学院は22年にわたって小田原市との公私協力体制を維持して参りました。小田原キャンパスで働いてきた教員・職員の多くは、小田原に大きな愛着を抱いています。また、法学部の教員は小田原市を含む近隣の市町村の各種委員として、また公開講座などの講師として地域貢献をさせていただきました。このような互恵主義の精神は今後も変わることはありません。小田原キャンパスの今後の利用については小田原市と誠意をもって協議を進めていきます。