辻仁成『アンチノイズ』(新潮社 1996)を読む。
20代半ばの若者の人生に対する諦めや女性に対する不安や暴力性などが、幹線道路の騒音や楽器のリズム、盗聴の声、鐘の音などによって表現される。
決して活字では表現できない様々な音(ノイズ)が登場人物の心理を表現するモチーフとなっており、元音楽家ならではの勢いのある作品となっていた。
作中、主人公の渋滞している道路の騒音を測定しながら心の中で呟いた台詞が印象に残った。
自然な渋滞とは意味のない怠慢のことだ。そしてそれは今の自分に似ている。何が原因で流れださなくなったのか分からず生きている自分にそっくり。ただ前の奴の尻にくっついていく。苛立ちから抜け出して、思いっきりアクセルを踏み込みたいのに、攣りそうなふくらはぎを我慢して、アクセルとブレーキを交互に神経質に踏みしめるだけなのだ。いったいこの渋滞の先に何があるのか。ぼくを停滞させるものは何か。時々流れの先を見ながら、ぼんやりとした苛立ちを覚えるのだった。