月別アーカイブ: 2003年7月

『スーツの下で牙を研げ!』

佐高信『スーツの下で牙を研げ!』(集英社文庫 1998)を読んだ。
佐高氏自身「社畜」という言葉を造語しているほど、会社に全人格を託してしまうサラリーマンに対して舌鋒鋭い。会社を相対化し、自分を見失わないことの大切さを主張する。しかし会社を相対化することは難しい。そのためには会社以外の自分をしっかりと見据えることが大事である。佐高氏は続ける。「人は順調で大きくなるのではなく、逆境で育てられるのだ」と。
一口に会社と言うが、大企業、中小企業それぞれに目に見えない会社に縛りつけられるシステムがある。さらに公務員ではよりそれが強固な形となって現れると指摘する。確かに労働条件だけを考えた時、民間のサラリーマンの公務員に対する憧れとやっかみは相変わらずだが、責任の在処が曖昧な役所の中で自己を出そうとすると、すかさず排除が待ち受けているという。佐高氏はニーチェの言葉を引用する。「これが人生だったのか。よし、さらば今一度。」

『お引越し』

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先日相米慎二監督『お引越し』をビデオを借りて観た。
ここ数年来、何回も観ているものであり、ストーリーはもちろんのこと台詞まで覚えてしまっているのに、観る度に感動が形を変えてやってくる。当初は「漆場漣子」役を演じる田端智子さんの無垢で迫真に迫る演技に魅了されたが、何度か観ているうちにラストシーンにおける一人の少女の成長の姿の意味について考えるようになった。ちょうど宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』とテーマといい、非日常的な舞台設定といいそっくりである。ある夏の日の思春期に差しかかる少年少女の心の成長を扱った作品は、スティーブン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』など洋の東西を問わない。この『お引越し』で描かれる少女の成長は、単に大人の世界をかいま見たとか、異性の魅力に触れたとか通り一遍の評論では語り尽くせない。竹林を彷徨い、もう一人の自分を見つめる自分と出会うという極めて哲学的なアイデンティティの確認作業が一人の少女を通じて行われている。

『わが子を救う教育サバイバル術』

早稲田アカデミー社長 須野田誠『わが子を救う教育サバイバル術』(グローバル出版 2002)という塾の宣伝本を読む。
塾というのが単に学校の予習補習的なことをやっていれば事足りる時代は終わって、生徒一人一人のカウンセリングや入試動向の研究といったコンサルタント機能が問われる時代が来ていると述べる。早慶付属高校合格実績全国一の塾を経営する著者は、大学進学率で私立学校に完全な遅れを取った都立の現状に批判的であり、引いてはゆとり教育を押し進め、「学力低下」を招いている文科省の方針自体に懐疑的である。
しかしあまたある塾関係の案内パンフと大差はなく、週休2日で暇を持て余している小中学生の親の不安や不満をいたずらにかき立てて、学歴という一定程度安定した保証を商売のネタにしているだけである。『自由からの逃亡』にもある通り、選択が自由になればなるほど人間は旧来の安定を求めたがるものである。学力低下イコール旧来のガンバリズム礼賛といった安直な塾の宣伝文句に絡めとられないためには、地域と一体となった面倒見の良い異年齢が共に親しみあうような教育システムへのこだわりが求められる。

この本に紹介されていた新宿にあるSEGという数学英語物理化学の専門塾が気になった。学校の定期試験用の勉強は一切行っていないとのことである。ホームページを見ると「速読による能力訓練講座」と「文章表現スキルアップ講座」といった予備校らしくない講座に寄せる受講生の声が面白い。

免許更新

本日の午後、鴻巣まで免許の更新に出かけた。途中,白岡の田舎道をゆっくりドライブした。そして,いつも通りの淡々とした話しとビデオ映像が続く講習を受けてきた。ビデオではスピードの出し過ぎについて注意を喚起するブレーキ実験の映像が映し出された。制動距離は速度の二乗に比例するので、制限速度を守りましょうというものだが、改めてこの「二乗」の恐怖を思い知った。また埼玉県の自転車事故は5年連続全国ワースト1位もしくは2位ということだ。ちなみに昨年の1位は愛知県である。確かに埼玉県民の自転車の運転は荒い。

それにしても免許センターというところは代わり映えのしないところだ。ここ最近、市役所や区役所がとみにCSを意識し、郵便局も公社化によって変わり、町中の交番の対応もかなり改善されてきたのに、免許センターは相変わらずの役所仕事という雰囲気が漂っている。陸運局もそうだが、お役所お抱えの天下り先となるようなところが一番改革が遅れやすいのだろう。

『アメリカひじき・火垂るの墓』

野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』(新潮文庫 1972)を2か月前から読み始め、しばらくほっぽいておいたのだがやっと読み終えた。
1930年生まれの作者の直接体験がもとになっており、戦争末期の社会の混乱をいつも空腹に喘いでいる少年の目を通して描いた作品だ。『火垂るの墓』はアニメ映画にもなり、少々きれい過ぎると感じていたが、『アメリカひじき』は戦争における人間のいやらしさが描かれていて面白かった。敗戦直後のGHQに対する卑屈な思いが、大人になってアメリカ人に対する過度な奉仕精神となって現れる主人公の姿がそのまま日本の姿と重なっている。