いま、五木寛之のTBSラジオ番組「五木寛之の夜」を聞いている。
その中で、「戦後57年間、完全に封印してきた悲痛な記憶」を初めて公開したという著書『運命の足音』(幻冬舎)の宣伝がなされていた。平壌からの引き揚げの途中でソ連兵の暴力がもとで死んだ母親のことが述べられているという。この本について、昨日の東京新聞の夕刊のコラム「大波小波」の中で、匿名コラムニスト”楽天家”氏は次のように述べる。
五木さんが一流のエッセイストであることは十分に認めますが、最近は宗教的な説教臭が強くなっているのが気がかりです。長年のファンとしてはやはり、難しい時代だからこそ小説の土壌で「悲痛な記憶」を見きわめてほしいのです。
これは過去の五木作品を愛するものにとって共通の感想だろう。先ほど五木寛之の過去の作品集である『こがね虫たちの夜』(角川文庫1972)を読み返したのだが、全共闘運動が下り坂に差し掛かっている中での、当時の社会の疎外感、閉塞感がうまく小説のなかで描かれていた。2002年の現在の社会にはびこる矛盾をうまく小説化できないものだろうか。
確か今週号の「フライデー」(講談社)の中で野坂昭如氏が、現在の人間を小説で描くのは複雑すぎて難しいということを語っていた。現在という時間を小説化させていくにはバーチャルリアリティ的なSFチックな作品を用意するしかないのだろう。