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『住の世界』

菊地俊夫・岡秀一編著『住の世界:私たちの住を考える』(二宮書店 2003)を読む。
東京都立大学の地理学の先生方が、目黒区の市民大学での講義をまとめた学術書となっている。
興味を持った箇所を引用しておきたい。

ヨーロッパには土地の性格を反映して、さまざまなタイプの住居が建てられている。建築材料からみてみると、気候条件によって森林が発達している地域と発達していない地域、つまり木材が利用できるところとできないところに関連して、住居タイプが異なることがわかる。例えば、木造建築は北ヨーロッパのスカンディナヴィア地域と東ヨーロッパのスラブ地域、および中央ヨーロッパで卓越し、それらはいずれも豊かな森林地域を背景としていた。
石・芝土・粘土を材料とする住居タイプは地中海沿岸や西ヨーロッパの石灰岩地域で卓越している。(中略)レンガを利用した住居はバルト海沿岸と北海沿岸に多く見られる。これらは低湿地で洪水のため森林が発達していない地域であり、沖積層が深いため石も手に入れにくい地域である。しかし、人々は豊富な沖積粘土を利用し、それを焼いて赤いレンガをつくって建築材料としてきた。

朝鮮半島は日本の本州とほぼ等しい面積を持ち、位置する緯度帯も似通っている。しかし、同緯度の日本各地と比べると、夏の気温は同じか、やや高いくらいなのに、冬の寒さはずっと厳しく、その期間も長い。(中略)韓国の首都ソウルは、緯度の上では富山や福島よりやや南に位置するが、真冬の月平均気温をみると4〜5度も低い。(中略)朝鮮半島のオンドル(温突)は、現在は床に温水パイプを埋め込んだボイラー式や電熱式が普及しているが、西暦紀元前後に高句麗で成立したとの見方が有力である。

世界の様々な気象記録の極値は最低気温−71.2度のロシア・オミミャコン、最高気温58.8度のイラク・バスラ、最大年降水量2万6461mmのインド・チェラプンジ、最小年降水量0.6mmのチリ・アリカ。

ちなみにインドのチェラプンジはインド東部のアッサム地方にある。また、イラクのバスラはこの本では世界最高気温とされているが、wikipediaによると、アメリカ・デスバレーの56.7度が世界最高気温とされているとのこと。チリのアリカは、チリ最北部、ペルーとの国境に近い港湾都市で、アタカマ砂漠北部の乾燥地帯にある。

オーストリア・チロルなど森が豊かなところでは断熱性・機密性に優れる木造建築がもっぱらであり、暖房用の薪に至るまで樹木に依存している。一方、森が貧弱なアイルランドなどでは、石積み・草葺き屋根が目立つようになる。暖房は周辺の至る所でとれる泥炭が用いられる。

川は水が流れ、水があふれるものである。現在の人間の生活の場の多くは、川が暴れてつくったものであるともいえよう。その意味では、川(水)を完全にコントロールしようという「完全主義」は最初から破綻している。現代文明は川の流れに逆らい、川を横断することを指向しすぎたのではないか。

田園都市を視察した渋沢栄一はハワードの都市計画に共鳴し、田園都市と同様のコンセプトで田園調布を建設した。

『学校・学歴・人生』

森嶋通夫『学校・学歴・人生:私の教育提言』(岩波ジュニア新書 1985)を読む。
著者は大阪大学で数理経済学を教える学者であり、長く「日本人初のノーベル経済学賞」の有力候補とされた人物である。著者自身の経歴に沿って、旧制高校から大学への移行期の混乱や大学内の人事などが批判混じりに説明されている。また、高校や大学も平等主義を建前としているので、いたずらな競争が激化されているということで、序列ではなく、種別によって学校を再編することを主張する。現在の高校再編にもつながる分野の話である。

私は知らなかったのだが、旧制高校の卒業生はかならずどこかの帝国大学に入学することができる仕組みだったとのことである。だから、進学や就職を心配することなく、一般教養や男子校のノリにのめり込んでいった。

『映画より面白い』

西脇英夫『映画より面白い:読んで観ろ!必読原作セレクト100』(キネマ旬報社 2000)を読む。タイトル通り映画よりも面白いと断言できる原作が100作品紹介されている。実際に著者が映画を観た上で、原作を読んでおり、文章に説得力がある。特にジュラシックパークの映画の批判が面白かったので、紹介したい。

とくに小説におけるイントロ部分は、恐竜が出てくるまでの小さな恐怖をひとつひとつじっくりと積み重ねていて、ここが一番面白い。こういうところをズバーッとぶった切ってしまうスピルバーグには、もう昔の謙虚な姿はない。ピンク映画からドラマを奪って、即セックスシーンにしてしまうアダルトビデオのように味もそっけもない。

『生きることと学ぶこと』

早乙女勝元『生きることと学ぶこと』(岩波ジュニア新書 1997)を読む。
東京大空襲の体験を後世に伝える語り部の印象が強いが、小説家や児童文学作家としての作品も多い。1932年生まれの作者の戦争体験、戦後の不況の中での仕事、そして作家としてデビューするまでが綴られている。

ちょうど1990年半ばの神戸連続児童殺傷事件やいじめ自殺などの教育問題も取り上げられている。そうした問題の原因を管理教育や生きる力のない子どもに帰しているが、ちょっとステレオタイプな論調で納得できなかった。
一つ印象に残ったことを挙げておきたい。今後の参考としたい。

たとえば、オモチャ。その昔のオモチャは、子どもが自分の手で作って、頭を使い指を使い、ブーブーとかガーガーとか言って、からだ全体を動かして何らかの集団で遊んでいたものが、やがて電池入りとなり、いつのまにかオモチャが勝手に遊んでくれて、子どもは首を回して見ているだけ。いわば孤立した第三者、見学者にさせられたということです。
オモチャにとどまらず、ワンタッチですべて事足れりで、風呂一つ沸かすのでも、飯炊き一つするのでも、かつての子どもたちは大変な知恵とからだを使ったはずなのに、もうその必要はなくなりました。子どもを取り巻く環境は至れり尽くせりの柔軟構造へと変化し、「体得」の機会は家庭からも地域からも、ほとんど失われてしまい、人間的なぶつかり合いも希薄となった現実は否定できません。

「中東各地 衝突拡大リスク」

本日の東京新聞朝刊に、アラビア半島周辺の衝突に関する記事が掲載されていた。
先日イスラム教スンニ派の過激派「イスラム国(IS)」がイラン南東部で爆破テロを起こしている。パレスチナのガザ地区を実効支配するハマスも大半の住人もスンニ派である。そのスンニ派にレバノンのシーア派のヒズボラがハマスに同調してイスラエルを攻撃している。ヒズボラやイエメンの武装組織フーシ派を支援するのはシーア派の盟主イランである。そのイランに対し、アフガニスタンを拠点とする「IS」がテロを仕掛ける理由がよく分からない。

学生運動が盛んだった頃の「革マルVS中核」を彷彿させる。イスラエルが態度を硬化させている以上、内ゲバをやっている余裕はない。