早乙女勝元『生きることと学ぶこと』(岩波ジュニア新書 1997)を読む。
東京大空襲の体験を後世に伝える語り部の印象が強いが、小説家や児童文学作家としての作品も多い。1932年生まれの作者の戦争体験、戦後の不況の中での仕事、そして作家としてデビューするまでが綴られている。
ちょうど1990年半ばの神戸連続児童殺傷事件やいじめ自殺などの教育問題も取り上げられている。そうした問題の原因を管理教育や生きる力のない子どもに帰しているが、ちょっとステレオタイプな論調で納得できなかった。
一つ印象に残ったことを挙げておきたい。今後の参考としたい。
たとえば、オモチャ。その昔のオモチャは、子どもが自分の手で作って、頭を使い指を使い、ブーブーとかガーガーとか言って、からだ全体を動かして何らかの集団で遊んでいたものが、やがて電池入りとなり、いつのまにかオモチャが勝手に遊んでくれて、子どもは首を回して見ているだけ。いわば孤立した第三者、見学者にさせられたということです。
オモチャにとどまらず、ワンタッチですべて事足れりで、風呂一つ沸かすのでも、飯炊き一つするのでも、かつての子どもたちは大変な知恵とからだを使ったはずなのに、もうその必要はなくなりました。子どもを取り巻く環境は至れり尽くせりの柔軟構造へと変化し、「体得」の機会は家庭からも地域からも、ほとんど失われてしまい、人間的なぶつかり合いも希薄となった現実は否定できません。