「土の世界」編集グループ『土の世界:大地からのメッセージ』(朝倉書店 1990)を読む。
主に大学の農学部の先生方が執筆された土に関する入門書となっている。最後に理科の教職課程に関する話が出ていたので、大学の地学教育を専攻する学生向けの参考書にもなっている。
途中化学式が出てくるが、植物や農作物は種から育つのではなく、土から育つものである。土の成分や微生物との関係がいかに大事かということが分かる。
いくつか参考になった内容を挙げておきたい。
造成地の土とまわりの森の土とでは一見してわかる違いがある。造成地の土はたいてい黄色か赤茶色であるが、森の土の表面には落ち葉が積もり、土の色は黒味を帯びている。黒い色は落ち葉などが変成してできた腐食と呼ばれる有機物の色で、腐食が多く含まれるほど土には植物の栄養が蓄えられている。このような養分の多い土を「土壌」と呼んでいる。土壌の「壌」は、長時間かけてできた肥えた土のことを意味している。おなじ「じょう」でも酉偏の「醸」が時間をかけて作り上げる酒の発酵を意味し、女偏の「嬢」が手塩にかけて育てられた娘さんに使われるのとまったく同じ意味で使われている。
植物は、みずから動いて食料を手に入れることはできないから、根を土の中にのばして養分を吸収するが、動物の消化器官に相当するものをもっていない。動物の消化酵素に相当働きを土壌中の微生物が果たしており、植物と協力体制が成立しているのである。したがって、多くの生命活動が活発に行われる場所こそが、肥沃な土壌と呼ばれるにふさわしい場所である。生命現象の痕跡が多く残っているほど、腐食が多く含まれ、土壌の成熟度は増すことになる。世界で最も肥沃な土壌とされている、ヨーロッパやアメリカの小麦地帯の腐食の多い土について、炭素の同位元素から年代を調べてみると、二千年から三千年前の、有機物が残っている。
台地を覆う火山灰の年代がわかれば、台地のできた年代がわかる。そのようにして日本では台地のほとんどが最近数万年間にできたことが知られている。なお先に触れた3つの平野(九州の宮崎平野、関東平野、北海道の十勝平野)は、いずれも火山の西側に位置しており、何段かに分かれた台地の上の段になるほど、火山灰が多く堆積している。たとえば、東京の西に位置する武蔵野台地では厚いところで8メートル、相模野台地では15メートル近くの火山灰が堆積している。
今から約2万年前には、海面の高さが現在の海面の高さより約100メートル低く、その後徐々に海面が上昇して、約六千年前にはほとんど今の海面の高さになったことが知られている。約六千年前の海岸線の位置はほとんど台地、丘陵、山地に接していて、平野はまだできていなかった。このことは、この時代に生きた縄文人がつくった貝塚が、現在の海岸線よりはるかに内陸の台地などの縁に多く分布していることからわかる。現在、川の下流部に広がる平野は、最近約六千年間に、川が運んできた砂や粘土が堆積してできたものである。
「雨降って、地固まる」という諺がある。実はこの諺には水分の変化がうまく表されており、正しく解釈すると「粘土を比較的たくさん含む土で家の土台を作った場合、雨が降って孔隙が詰り、その後の乾燥に伴って地面が絞め固まる」となる。泥団子の場合を同じで、砂ばかりでは地は固まらない。
土の中にはどのくらいの数の生き物が住んでいるのだろう。ミクロなサイズの生物を数えるのはなかなか難しいが、わずか1グラムの土に、たとえば、カビが約十万、細菌が約1億といわれている。しかし、一つ一つが非常に小さいので、その重さが土全体の重さに占める割合は普通は1%以下で、そのわずかな部分が土の中の物質変化の大半を受けもっているのである。
褐色森林土
日本の産地のほとんどを覆っている。温暖多雨の気候下でできるので酸性を示す。上には未分解の枯葉や枯枝が堆積している。森を歩くとフカフカなのはこのためである。その下に、暗褐色〜黒色の腐食を含む表層がある。枯葉の養分は表層に集積され、再び利用される。この薄い表層は小動物から昆虫、きのこ、かび、微生物に至るまでの膨大な数の生物のすみかになっている。