日別アーカイブ: 2021年9月27日

『グリコのおまけ』

金田理恵構成・装丁・挿絵『グリコのおまけ』(筑摩書房 1992)を読む。
主に昭和20年代後半から30年代にかけて、グリコのお菓子についてくるおまけのおもちゃの紹介がひたすら続く。ちょうど団塊の世代が懐かしいと感じるものが、ページを繰っても繰っても並ぶ。グリコのおまけは1922年(大正11年)から始まり、1942年(昭和17年)に物資統制の強化により中止される。そして1947年(昭和22年)から、クレヨンや消しゴム、ろうせき、ゴム跳びのゴムなどの実用小物のおまけから再開することとなった。1980年代のおもちゃも紹介されているのだが、私自身はほとんど購入した記憶がない。

おまけにまつわる裏話として、大正期に日本では、婦人雑誌の猛烈なおまけ合戦が白熱し、1キロ以上のおまけはやめようという自粛協定までできたそうだ。本が売れない現在と同じような状況だったようである。

江崎グリコの創業者の江崎利一氏の文章が印象に残った。

子どもの生活行動をよくしていると、食べることと遊ぶことが二大天職のように思える。食べながら遊び、遊びながら食べている。どちらか一方だけでは満足しない。つまりオヤツとオモチャの世界に住んでいるのである。子供にはオヤツとオモチャは切り離せない。手元になければ、あらゆる工夫をして自分たちでつくり出している。
子供はつねに新しい遊びと新しいオモチャを探している。いつの時代でもそうであった。そして、それに取り組んでいる子供の姿はまことにいじらしく、真剣である。その選択は子供の教育上からみても、人間形成の上からいっても重大な意義をもつ。だから私は栄養菓子を子供に与え、オモチャとしての豆玩具を提供しようと考えたのだ。

 

『遙かなる宇宙への誘い』

アトラス・フォト・バンク『遙かなる宇宙への誘い:THE UNIVERSE』(クレオ 1993)を眺める。
文章は一切なく、天体やオーロラ、宇宙開発などの写真や、想像を交えた宇宙都市や惑星探査のイラストが、これでもかという調子で1ページに8枚ないし9枚ずつ、合計100ページにわたって紹介されている。絵を見るだけなのだが、後半には疲れが出てきた。新月から満月までの28枚もの月の満ち欠けの写真など、膨大な写真を前に立ち尽くす、いや座り尽くすだけだった。

「トルコ 息をひそめるアフガン難民」

本日の東京新聞夕刊に、アフガニスタンのタリバン政権から逃れ、イランを経てトルコに不法移入したアフガン難民が欧州を目の前にして足踏みしている状況が報じられていた。一度EU加盟国に入ってしまえば、パスポートを提示することなく、陸路で欧州各国を移動することができる。そのため、数年前のシリア難民も陸路でギリシャか海路でエーゲ海を渡り、働き口のあるドイツやフランス、イタリアを目指した。今回のアフガン難民も同様のルートを辿っており、ドイツ・メルメル退陣後のEUの寛容性が試されることとなる。

「シンガポール 水上に巨大な太陽光発電」

本日の東京新聞夕刊に、マレー半島の先端にあるシンガポールが、天然ガス発電一本化から太陽光発電の導入へ転換を図りつつあるとの記事が掲載されていた。他国のエネルギー事情にまであまり気が回らないが、国土の狭い日本にとっても参考となる事例である。

「新疆綿 調達見直し10社超」

本日の東京新聞朝刊に、中国西部の新疆ウイグル自治区で生産された「新疆綿」を巡って、日本の10社を超えるアパレル企業が、調達の見直しに動いていると報じられていた。

新疆ウイグル自治区は住民の大半がイスラム教徒であり、言語も文化も中国東部とは大きく異なる。そのため中国政府は漢化政策をゴリ押しし、思想統制を目的とした強制労働やウイグル人を根絶やしするための強制不妊手術などの人権侵害を繰り返している。そうした中国政府のやり口に圧力をかけるため、米国バイデン大統領を中心に、中国に対する経済制裁の動きが広がっている。今回の記事もそうした流れに沿ったものである。

人権弾圧を行う政権に対して、周辺国が協力して経済封鎖をするというのは戦略として間違っていない。ただし、この新疆綿に対する経済制裁は、果たして中国政府に対してメッセージが届くのであろうか。むしろ新疆ウイグル自治区の経済だけが悪化し、中国政府の介入をより招く結果になりはしないかと疑問を感じてしまう。