金田理恵構成・装丁・挿絵『グリコのおまけ』(筑摩書房 1992)を読む。
主に昭和20年代後半から30年代にかけて、グリコのお菓子についてくるおまけのおもちゃの紹介がひたすら続く。ちょうど団塊の世代が懐かしいと感じるものが、ページを繰っても繰っても並ぶ。グリコのおまけは1922年(大正11年)から始まり、1942年(昭和17年)に物資統制の強化により中止される。そして1947年(昭和22年)から、クレヨンや消しゴム、ろうせき、ゴム跳びのゴムなどの実用小物のおまけから再開することとなった。1980年代のおもちゃも紹介されているのだが、私自身はほとんど購入した記憶がない。
おまけにまつわる裏話として、大正期に日本では、婦人雑誌の猛烈なおまけ合戦が白熱し、1キロ以上のおまけはやめようという自粛協定までできたそうだ。本が売れない現在と同じような状況だったようである。
江崎グリコの創業者の江崎利一氏の文章が印象に残った。
子どもの生活行動をよくしていると、食べることと遊ぶことが二大天職のように思える。食べながら遊び、遊びながら食べている。どちらか一方だけでは満足しない。つまりオヤツとオモチャの世界に住んでいるのである。子供にはオヤツとオモチャは切り離せない。手元になければ、あらゆる工夫をして自分たちでつくり出している。
子供はつねに新しい遊びと新しいオモチャを探している。いつの時代でもそうであった。そして、それに取り組んでいる子供の姿はまことにいじらしく、真剣である。その選択は子供の教育上からみても、人間形成の上からいっても重大な意義をもつ。だから私は栄養菓子を子供に与え、オモチャとしての豆玩具を提供しようと考えたのだ。